今日は泊りがけで首都圏を離れた温泉宿へ行くことになり、御堂は今愛車を高速に乗せている。
「いい天気っすね」
助手席の男が車内にも溢れるような陽光を感じてか屈託なく笑う。
「・・・ああ、そうだな」
御堂は前を向いたまま適当な相槌を打った。

本多の記憶が戻らないまま、また週末がやってきた。
足の固定は取れ腕のほうも今は簡単な固定具だけになっていて、人と接しなければならない外回りは避けつつ内勤には復帰している。

なのに、記憶だけ戻らない。

医者もしきりに首を捻っていた。
何度も脳波などの検査はしたが、異常はどこにも見つからないのだそうだ。
本多の記憶喪失は長すぎる。
二人で過ごす週末が、御堂には徐々に苦痛になってきていた。
思い出の場所に、彼はもう行きたくなかった。


以前行った場所を見るたび、他愛ない記憶が蘇る。

蘇るのに、その中で笑っている男に、その記憶は無い。


そして聞くのだ「ここで御堂さんと俺、どんなことしたんですか?」と。





共有しているはずの記憶を、説明しなければならない苦痛。

話すたび、その思い出が空虚なものに思えてくる。



妄想を語っているような気さえしてくるのだ。





二人で行った主な場所は、今向かっている温泉宿で最後だった。
もともと交際を始めてからそう長くは無いし、仕事の疲れを気遣ってお互いの部屋でゆっくり過ごす週末のほうが多かった。
二人でした泊まりがけの遠出は、出張を除けばあの宿に泊まった一度きり。
その場所を最後に残したことを、御堂は後悔していた。

もっと早くに行って置けばよかった―――
記憶を無くす前の本多と今の本多を全く別人のように見てしまう現状に陥らないうちに済ませて置けばよかった、と。

本多の顔、本多の声、本多の身体・・・本多ではない記憶。


(心穏やかに過ごすことなど出来ない・・・)


御堂は無意識に、重い溜息をついた。
チラリと本多が彼を見たが、思考の海に沈んだ御堂は気付かなかった。




「・・・」

物憂げな御堂の横顔から本多はそっと目を逸らす。
どうやらこの旅行に御堂が乗り気でないことはわかっていた。
“あとは・・・あの宿だけか・・”と彼が零したことで決まった今週の予定だが、週末が近づくたびに彼の溜息は多く、そして重くなっていた。
御堂の心情を慮(おもんばか)って中止にすることもできたのだ。
だが、しなかった。
御堂と一緒に過ごしたいという自身の望みを優先した。
芽生えた気持ちに気付いてから、本多は彼と過ごす週末を大切にしていた。

御堂が最近、週末の外出を苦痛に感じていることは知っている。
自分を“恋人だった本多憲二”と別人のようにしか見れなくなってきていることも。


記憶が無いだけだ。



記憶が無いだけで、自分が本多憲二であることは全く変わっていないのに。

なのに、御堂は他人のような目で自分を見、一緒にいることに苦痛を感じている。



それでも御堂への気持ちは強くなるばかりで。


思い出の場所で記憶に想いをはせる御堂を見るとき、最近はっきりと感じるのだ・・・記憶を失う前の自分に対する、燃えるような嫉妬を。





本多の中でもまた、記憶を失う前の自分と現在の自分が、静かに分離しつつあった。





暫く走り、頭上の看板を確認した御堂は黒のBMWをサービスエリアへ続くレーンへ移動させた。
「休憩すか?」
割と大きなSAだ。
御堂は少し間を空けてから頷いた。
「ああ・・・前来たときも、ここへ寄った。君がその時テレビで紹介されたばかりだったらしいジェラードを食べたがったんだ。」
あの時本多はSAまでの距離を示す看板を見た途端「あ!次のサービスエリア、こないだテレビでやってたジェラード売ってるとこっすよ!
寄りましょうよ御堂さん!すっげえ美味しいっていってたし、景色のいい高台もあるんすよ!」と騒いで、渋る御堂を押し切ってそこに立ち寄らせた。
思えばあの時、本多は何度もSAに入りたがった。
理由はトイレ休憩だったり名産品目当てだったり、単に腹が減っただけだったり、いろいろだったが。
今思えば、左ハンドル車で運転が代われない為一人でハンドルを握っていた御堂を休ませようという気遣いだったのだろう。
(がさつな癖に、妙なところで気の付くやつだからな・・・)

車を降りながら御堂は、記憶の中で“あ、アレだ、御堂さんも食べるだろ?”と幟(のぼり)を見つけて言った本多の笑顔を思い出した。

遠くを見やるその表情を見て本多は苦しげに眉根を寄せ、努めて明るい声を出した。
「あ、さっき言ってたジェラードって、アレっすよね。御堂さんも食べますか?」
ハッとして御堂の思考が戻ってくる。
「いや、私は・・・」

本多に声をかけられて現実に戻る瞬間の御堂の仕草は今までに何度も見た。
自分の顔が不毛な嫉妬で歪んでいないことを祈りながら、本多はまた、明るい声で言う。

「食べましょうよ。美味しいんでしょう?」


御堂は出来ればそれを食べたくなかった。




食べればまた思い出す。

そして比べてしまう。

口に入れた瞬間の表情だとか、味の感想だとか。


それでもあの本多を取り戻すためなのだと言い聞かせて了承した。





どこか辛そうな表情をしながら返事をする御堂を見て本多の顔が切なげに歪む。
だがその時はもう御堂の視線は本多から逸れていた。





それぞれジェラードを手に、あの時のように高台に上った。
近くを流れる大きな川とその付近の様子が一望できるそこに、梅雨のこの時期には珍しく湿気を帯びない風が吹き抜けて心地よい。
御堂と本多は黙ってベンチに腰掛け、日差しに溶けていくアイスを舐める。
味は御堂が知るものと変わらなかった。

当たり前だ。
ほんの数ヶ月前のことなのだから。

数ヶ月前のことなのに、何故かもう何年も昔のことに思える。


共有する唯一の人を失った想い出は、なす術も無く色褪せていくしかないのだろうか。


(あの時はもう少し人が少なくて・・・)

天気の良い週末の昼近く。
景色を見て楽しそうに笑う家族連れを見ながら御堂はぼんやりと思い出す。


あの日も土曜日でまだ春先で肌寒くはあったが暖かい日だったから人の姿は沢山有った。
でも一瞬、人の足が途絶えた瞬間があって。
それに気付いた本多は、穏やかな気分で景観を眺めていた御堂の唇を深く、だがすばやく奪って見せた。
驚愕しながら怒る御堂に、悪戯が成功した子供そのものの顔で笑って。
それから目的地に着くまで御堂は本多を無視し続けたのだが・・・ミルク味のキスは夜まで御堂を悩ませた。



(あの時ああも意固地に怒らなければ、道中の思い出が増えただろうか・・・)




まるで故人の思い出をなぞる様な自身の気分のおかしさと残酷さに、御堂は気付かない。

記憶だけを欠いた本人が隣で苦しそうな顔をしていることに、彼は気付けないでいた。




つい、と御堂の指が唇をなぞる。
切なげな瞳に浮かぶ艶とその動きで、この景色とともに“自分”が御堂へ刻んだ想い出の内容に本多は思い当たる。

御堂の瞳は景色を見ているようで、それよりもずっと遠くを見ている。



(違う)



あんたが見るべきはそんな遠くじゃない。




本多は殆ど衝動的に、御堂の肩を掴んだ。

「!」


隣に彼が居ることも忘れていたのか驚嘆して目を見開いた御堂の手から、一拍置いてジェラードが滑り落ちる。





パシン


酷く乾いた音で、御堂は本多の手を払い落とした。












部屋で取った夕食の膳が、和服姿の仲居によって下げられていく。
本多はテーブルの傍、御堂は窓辺の椅子にいて、会話もなければ目もあわせない。
サービスエリアでの小さな出来事からこちら、彼らは一言も言葉を交わしていなかった。
重い沈黙を居心地悪く感じたのか膳を持った仲居はそそくさと部屋を後にする。
ぼんやりと外を眺めているように見えて、御堂は神経を緊張させていた。
視線は窓ガラスに映りこんだ本多の姿を捉えている。

(あの目・・・)

高台で突然御堂の肩を掴んだ瞬間の、本多の瞳。

御堂はあの目を知っていた。
あの時彼の瞳に閃いたのは御堂に対する情欲と所有欲だった。


少し前から感じてはいた。
本多が自分に恋心を抱き始めたことを。


だが、目を背けていた。


(どうしろというんだ・・・そんな、私は・・・・)
御堂はグ、と奥歯をかみ締めた。
彼にもわかってはいるのだ。
今傍らに居るのは記憶が無いだけで、紛れも無く彼が愛した、彼を愛した男であるという事くらい。

だが、残酷な現実をつきつけられるたび、心の中で本多憲二が乖離していく。



それは一種、御堂の意識の範疇でない奥深くが求めた自己防衛といえるかもしれなかった。

本多が自分を愛していない、自分を覚えていないという事実が心に刻む傷から自身を守ろうとしているのだ。



だから御堂は受け入れられない。



記憶を失う前の彼と今隣にいる彼が乖離などしていないことを。

そして記憶のない彼が自分へ向ける好意を。


頭は分かっていても、心が拒むのだ。




その時カタンと音がして、御堂は現実に引き戻された。
ハッとして顔を上げれば、ガラスに映りこんだ本多が立ち上がってこちらを見ている。
「っ・・」
その目は高台で見たときと同じ熱を宿している。
御堂は身を硬くした。

「・・・そんなに俺が怖いですか、御堂さん」

頬を引きつらせた御堂に本多が低く問いかける。
ガラスに映る彼に射すくめられていた御堂が、その言葉で我に返ったように振り返った。
漸く、二人の目が合う。
自分をまっすぐに見つめる本多の瞳に映る感情は、恋情と熱と嫉妬と哀しみ。
見ていられなくて、御堂は目を伏せた。
「そんな目で、私を見るな・・・」
搾り出すような声が二人を隔てる。

切なげなそれはしかし、本多にとっては理不尽な拒絶としか思えなかった。


「そんな目で、ってことは、分かってるんですね・・・俺が貴方のことどう思ってるか。」


感情を無理やり押さえつけた低い声。
本多が怒る一歩手前で良く出る話し方に、御堂は眉根を寄せた。

掌に爪が食い込む。

「・・・・・・君が私をどう思おうが、私は君の気持ちには応えられない。」
己の声の冷たさに、御堂は内心動揺した。
それをぶつけられた本多は尚更だ。
「なんでだよ・・・」
唸るような声。

怒っているのだろうその声音の中に、御堂は苦しみと哀しみを感じ取る。


他人ならば感じ取れないだろうそれが、煩わしい。



感じたくない。
不可解な己の心は、一人の人間を乖離させようとし、同時に、乖離しきることも出来ずにいるから―――揺らぐ。



「なんでだよ!俺は間違いなく、本多憲二だ!!」
そうだとも違うとも、御堂には答えられなかった。
Yesであり、Noであるのだ。
「なのにアンタは俺を見るたび、記憶を無くす前の俺の思い出だけ追って、俺を見ようとしない!
 あんたの思い出の中にいる俺と今ここにいる俺は別人じゃない!なのに、なんで俺を見てくれないんだ・・・っ、俺はっ、俺は、あんたのことが」
「それ以上言うな。」
冷たい制止に本多は一瞬言葉を呑み込んだ。
だが、続けた。


「俺は御堂さんのことが好きだ。」
「本多っ!」


辛そうに歪められた表情と変わることの無い拒絶の言葉に本多の中で何かが振り切れる。




「なんでアンタがそんな顔するんだ!!恋人なのに俺を拒絶してるのはアンタだろう?!」




激昂に任せ、本多は御堂の両肩を掴んだ。
痛んだのは肩だったのか心だったのか・・・御堂が更に顔をゆがめた。

そしてそのまま、怒りに燃え立つ本多の目から紫苑の瞳は逸らされる。


ぽつり、と静かな声が返った。


「私に君の気持ちはわからない。」

寂しげな、しかし余りに酷な言葉に本多が息を呑む。
御堂の唇はフッと自嘲気味に吊りあがった。



「恋人に忘れられた人間の気持ちが、君に分からないのと同じように。」



御堂の言葉がまた、本多の心を抉る。

確かに、御堂が何を思うのか聞いたことなど無い。


だが、 “以前の本多”を思う御堂の表情に気付かないはずが無かった。




むしろ、あの表情の残酷さを・・・そこに滲み出した御堂の心の残酷さを知らないのは・・・御堂のほうではないのか。






「・・・・知りたくも無ぇよ・・」






本多の喉が唸るように声を絞り出した。



御堂がハッとあげた、その顔が――惹かれて已まないその顔が、瞬間・・・どうしても許せないものに思えた。



ブラウンの瞳を確かに横切った憎しみの閃光に危険を覚え、御堂が本多の手から逃れようとする。


しかしそれを許さず、本多は的確に御堂の足を払い―――
背中を強か打ちつけて息が詰まったのだろう、御堂の手から力が抜けた隙に本多は濃紺の浴衣の袷(あわせ)を割り開いた。




晒される白い肌。


息を呑んで御堂が見上げた先、無体を働こうとのしかかっている男の顔は酷く苦しげに歪んでいた。














 →GOOD ENDルートへ(未開通)
 
 →BAD ENDルートへ











ヤンデレの神様たちの甘い囁きに負けてルート分岐(笑)
でも私にはヤンデレは難易度が高すぎるので、まっているのはただのBAD ENDですがw
更新は八月以降になりますが、まったりお待ちくださいませ。