「御堂さん、御堂さん!本多です!」

ノックしても、インターホンを押しても応答が無い。


中に居るはずなのだ。
ここに居るはずなのに。


本多は舌打ちを堪えながら、握り締めていた携帯電話をもう一度開く。
発信履歴を呼び出せば、画面には『御堂孝典』の表示の横に『30』とある。
今日、本多が御堂の携帯にかけた回数。
強引にホテルへ引っ張っていった翌日の土曜日、昼に別れた時、月曜の昼食を一緒に取ろうと約束した。
だが週の明けた月曜日、会議の為に赴いたMGNの会議室に御堂の姿はなく風邪で欠勤だと聞かされた。
風邪で欠勤。

違う、と本多は瞬時に思った。

本当に風邪をひいただけなのなら、本多に連絡が無いのはおかしい。
時間に厳しい御堂は、彼自身もかなり時間や約束に厳格だ。
昼食の約束をした相手にキャンセルの連絡を入れてこないなど、ありえなかった。

不安を感じながら過ごした会議の後入れたのが一回目の着信。

仕事を放り出すことも出来ず、暇を見つけては電話を掛け続けた。


だが今に至るまで、留守番電話サービスにしか繋がらない。


御堂の携帯には異常な数の着信履歴が残っているのだから、本人が電話を確認できる状況に有れば、とうに連絡はついているはず。
それなのに、朝から夕方に至るまで何の連絡も無い。



明らかに彼の身に何か起こっている。



定時になると同時、本多は会社を飛び出して御堂の家へと走った。
オートロックのエントランスを、住人の出入りに乗じて潜り抜け、以前佐伯につれてきてもらった御堂の部屋に辿り着いたのがついさっき。
来る途中も何度も聞いた携帯のアナウンス。

マンションに入ってからは握ったままだったが、いままで通じなかったものが突然繋がるとは考えられない。


それでも、沸いてくる絶望を振り払いながら発信ボタンを押した。








・p・・ri・ri・・・ririri・・・・








部屋の中から微かに



「――――!!」




着信音が、聞こえた。







中に居る・・・!








思わず、ドアノブを引く。

「っ、」

勢い良くドアが開いた。

鍵が掛かっていなかったのだ。
「御堂さん!!返事してください!!」
声を張り上げながら本多は部屋へと駆け込んだ。



彼は知らなかった。




そのドアはオートロック式であること。


にもかかわらずそれが開いていたのは、ドアに物が挟まっていたからだということ。





そして、挟まっていたものが、ドアの開いた衝撃で廊下へ転がり落ちたこと。






ステンレス製の小さな角型のものが、絨毯の敷かれたフロアを音も無く二三度跳ねる。

直ぐ傍の観葉植物に当たって止まった拍子に中から紙片が覗く。



ドアに挟まっていたのはシルバーの名刺ケース。






零れ落ちた名刺には「株式会社キクチ・マーケティング 営業第八課 佐伯克哉」の文字があった。






「御堂さ・・・」
土足で駆けこんだリビングで、本多は絶句した。
ガラス張りのローテーブルが転げ、ラグが大きく捲れ上がって、床にはグラスの破片。
破片と・・・卑猥な道具、そして・・・・・ぐったりと意識を失ったままの、部屋の主。
「御堂・・・!」
一瞬の自失のあと慌てて駆け寄って彼を抱き起こした。

酷い、状態だった。

肌に纏っているのは引きちぎられたシャツの残骸だけ。
両手首は手錠で戒められ血を流している。


そして体中、髪から足の指先に至るまで、乾いた男の精液が大量にこびりついていた。


「っ・・・」


意味も無く叫びだしそうだった。
堪えて、腕の中の身体を強く強く抱きしめた。


眼に入ったのは、引き寄せられることで露わになった秘部から、とろりと伝う白濁の液。
乾ききったそれと、伝い落ちるそれ。
意味するところは明らかだった。
ついさっきまで、犯されていたのだ。
長時間、恐らくは、夜が明けるずっと前から。


「ぅ・・っ、く・・・・っ」


ぐったりとして冷え切った身体を抱きしめる本多から嗚咽が漏れた。




御堂を陵辱する男を殺してやりたかった。


こんな犯罪をのさばらせるような社会を作った奴を殺してやりたかった。



そして何よりも、誰よりも、自分を殺してやりたかった。





どれくらい、御堂を抱きしめたまま泣いていただろうか。
腕の中から小さな声が聞こえた。

「・・・どうして・・きみが泣く・・・・?」

痛々しいほど掠れた声は、酷く落ち着いていた。
いや、感情がこそげ落ちてしまったような声だった。
顔を上げると、疲弊しきった顔の御堂がいた。
青白く血の気が引いた頬にも精液がこびりついている。

それを見て、止めるはずだった涙がまた零れ落ちた。

御堂が辛そうに眉を寄せる。
「泣くな・・・・」
もう力も入らないだろう腕を必死で持ち上げて、体温の退いた指先が本多の涙を拭う。

痙攣して限界を訴えるその手が堪らなくてギュッと握り締めた。


「泣いてください、御堂さん・・っ、俺の前では思いっきり、泣いていいって、いったじゃないですか・・・・っ、なのに、なんで、俺が泣いて・・っ・・・」


涙に声を詰まらせながら言い募る本多の顔は本当に辛そうで。

御堂は重い腕を動かして、震える背中をさすった。



自分の為に涙を流すのはやめた。
泣いても自分が一層惨めになるだけだったから。



土曜の昼、帰宅した御堂を待っていたのは佐伯だった。
ソファに悠然と座り嗜虐的な笑みを浮かべたその姿に、本多の存在で軽やかに弾んでいた気分は跡形もなく砕け散った。
咄嗟に踵を返した御堂の腕は難なく捕らえられる。
「昨日はどこに泊まったんですか?待ってたんですよ、俺」
悪魔はそう言って笑う。
御堂の抵抗など難なく封じられて押し倒され、手錠を嵌められた。
「へぇ・・?知らないシャンプーの匂いがしますよ、御堂さんの髪。ねぇ、誰の家に泊まってたんですか?」
私がどこに泊まろうと貴様に関係ない、そう言って突っぱねると恐ろしく冷たい笑みを返された。
「質問を変えましょうか。誰に、抱かれたんですか?」
誰にも抱かれていない、何度繰り返しても佐伯は聞く耳を持たなかった。

そのままそこで犯され、浅ましく肉欲の奴隷に成り下がった身体は陵辱される快楽にのたうった。
それを言葉で辱められ散々嬲られて、ぐったりとしたころ佐伯が言ったのだ。

「淫乱なアンタに最高のプレゼントをしてやる。馬鹿なアンタにも自分の立場がはっきり分かるようなプレゼントをな。」

と。
何秒も経たず、御堂の意識は途絶えた。
目を覚ましたらそこは深紅一色の世界。
全裸で拘束されて床に転がされ、正面のソファには笑みを浮かべた佐伯、その横に見知らぬ金髪の男。

そして、周りには・・・・。


悪夢だった。
いや、地獄だった。


御堂を取り囲んでいたのはどれもこれも、知った顔ばかり。

得意先の役員、取引先の社長、懇意にしている営業、同僚、上司、部下。


延々と、犯された。


彼らに。


佐伯が連れて行ったのは、現実と幻想の狭間。
そこに居る彼らが彼ら自身とは限らないし、仮に本人であったとしても記憶など残らない。

だがそれを知るはずもない御堂にとって、彼らに陵辱されることは、いままで佐伯に為された仕打ちすべてを凌駕するほどの地獄だった。



信じていた全てを壊されたのだ。


世界の全てを絶望で塗りつぶされたのだ。



抜け殻のようになって犯されるだけとなった御堂は知らぬ間にリビングへと戻されていた。
だが悪夢は終わらず、朝が来るまで佐伯に痛めつけられ続けた。
意識を失った御堂が目覚めたのは昼過ぎにドアが開いたとき、外回りのついでとばかり、再び佐伯に犯された。

その時はもう、生理的な涙しか流れなかった。



涙を流すと、自分の置かれている状況を否が応でも再確認させられる。

他人に泣かされているという屈辱を噛み締めなければならなくなる。





でも、今涙が流れないのは、多分






多分・・・自分を抱きしめるこの男が、自分の為に泣いてくれているから。






まだ、自分の為に泣いてくれる人が居る

1人の人間として想ってくれる人が居る



それが嬉しかった




そしてその人が、本多憲二であることが、本当に、嬉しかった。




御堂は震える指でもう一度、本多の流す涙を掬った。

「ありがとう」

切なげに眉を寄せながら、唇は優しく弧を描く。
「ありがとう・・・」


私の為に泣いてくれて

私をこんなにも想ってくれて



「君が、そばにいてくれて・・嬉しい・・・」



君が居るからまだ立っていられる。


信じていた人達に犯されたとき、世界の全ては絶望に塗りつぶされたのだと思った。

でも、自分を包む闇がどれほど濃く深く重くなろうとも、変わらず輝き続ける一筋の光があった。


周りに闇しかない状況でもその光はまっすぐに御堂を照らしている。



翳ることなく、弱まることなく。



太陽のようなその男は、御堂の言葉に顔をゆがめた。
酷く、辛そうに。
「でも、俺は・・・っ、あんたの事癒したいっていったのに、何にもできなかった・・・、御堂さんが、苦しんでるとき、なんにも・・・っ」
そう言って、また泣く。
御堂は本多の頬を手のひらで優しく包み込んで、薄く微笑んだ。

「だがこうしてここに居てくれる。私の代わりに泣いてくれる。私を人として想ってくれる。――――ありがとう、本多。」

本多は耐え切れず、思い切り御堂を抱きしめた。
涙が止まらなかった。


どうしてこの人は、こんなに

こんなに、強い人間になってしまったのだろう




思い切り泣けたら楽なのに

他人に当り散らせたらこんなに苦しまなくていいのに

守るといっておきながら何も出来なかった自分を糾弾できたら、ずっと楽になるのに


どうしてこの人は、こんなに強く美しく生きてしまうのだろう




本多は御堂を抱きしめながら思い切り泣いた。

涙できない、愛する人の分まで。













「寒くないですか」

横たわる御堂に優しく本多が聞いた。
風呂で身体を洗って、御堂を穢した男たちの残滓は全て洗い流した。
今は充分に温まった身体を掛け布に包んで、ベッドに居る。
本多は傍らに腰掛けて御堂に話しかけていた。

片時も離れない彼に御堂は若干辟易しているようだから多分気付いていないのだと思う。
1人にされそうになると酷く不安げな表情になるのを。

「もう寝ます?」
時計はもうすぐ22時を指そうとしている。
「君はどうするんだ?帰るのか?」
本多の視線をなぞる様にして時計を見た御堂はまた、少し寂しげな表情になった。
明日も平日だ。

でも、帰れるはずがない。


彼をここに1人残すのと、同じスーツで出勤するのと、天秤にかける余地もない。


「いや、泊まってきます。御堂さんがよければ、ですけど。」
御堂はひょいと片眉を上げて本多を見た。
何か言い返すかなと思ったが、意外にも何も言われず視線が外される。
「・・・勝手にすれば良い。」

少し染められた頬が、うれしかった。

口許が緩んだのを見たのだろう、若紫の瞳が本多を睨んだ。
「言っておくがうちには馬鹿でかいサイズのシャツもスーツもないからな。」
「同じ服でいいですよ。夜は恋人の家に泊まったんだって公言できますから。」
苦もなく言うと今度こそはっきりと御堂の頬が染まる。
「っ・・・、馬鹿なことを・・・」
そのまま何や彼やと話して、夜は更けていく。
本多は徐々に心配になってきた。


肉体的にも精神的にも御堂は疲弊しているはず・・・早く寝たほうがいいのに、全く眠そうな素振りを見せないのだ。
話し始めたときは取りとめも無いことを話していればすぐに眠くなるだろうと思っていたのだが、どうやら本当に目が冴えているらしい。


「御堂さん、アルコールでも入れます?」
話が途切れたのを見計らって聞くと御堂は小首をかしげた。
「?どうしてだ」
「いや、だって、もう寝たほうがいいっすよ。明日も会社だし。」
それで御堂は合点がいったようだ。
眠くないが確かにもう寝なければ明日に響きそうだと。
「キッチンの奥にワインセラーがあるから、適当にもってくればいい。グラスもその辺にある。何種類かあるが・・・まぁ、普通のワイングラスでいいだろう。」
普段なら産地や年に合わせて最適なグラスを選ぶのだが、本多にそれをやらせるのは無理だし、かといって自分が歩いてキッチンまで行こうとも思えない。
多分オーソドックスなものというと白ワイン用のものを持ってきそうだが、まぁ、この際そこまでこだわらなくていいだろう。
ワインの名前を聞かれるが、それも好きなものでいいと答えた。
外れはないし、本多にフランス語は読めそうにないし、とは言わなかったが。
本多は勘でワインとグラスを選び、カウンターにおいてあったソムリエナイフも持って寝室に戻った。
開けていければベストだったが、あいにくソムリエナイフなど扱ったことがない。
カーディガンを羽織ってベッドに腰掛けて待っていた御堂にボトルとナイフを渡す。

「ほぅ?これを選んだか。なかなか良い勘をしてるな。」

ラベルを見る前から銘柄が分かったらしくからかう様に褒められた。
勘と言い切る辺りが恨めしい。
大当たりだから余計。
白い指が折りたたまれていた小さなナイフを引き出してボトルの口部分をくるりと一周させる。
今度はナイフをしまって、スクリューの部分を引き出し、無造作にコルクへと差し込む。
スクリューを埋め込むと、本多がただのカバーかと思っていた部分の凹みをボトルの口に引っ掛けてソムリエナイフを縦に引き起こしスイとコルクを抜き取った。
「へぇ・・・器用なもんですね」



ワインの芳醇な香りが部屋中に広がる。
本多が異変に気付いたのは、感心して眺めていた先で、御堂の手からコルクを付けたままのソムリエナイフが滑り落ちたときだった。



「っ、!?」


本多が反応するより早く、御堂が持っていたワインのボトルを投げ捨てた。




床に叩きつけられたボトルが音を立てて砕ける。

深い赤紫の液体が勢い良く飛び散った。




噎せ返るような匂い。




御堂は自身を抱きしめるようにして床に蹲る。


全身が酷く痙攣し、吐き気と、眩暈と、頭痛が一気に襲ってくる。





「御堂、おい・・っ、大丈夫か!?」

何が起こっているのかわからない。
だが只事でない彼を本多が慌てて抱きしめる。


御堂の脳裏に深紅の地獄が蘇った。




嗤う、見知った顔。


押し込まれる肉棒。


嘲笑う声。


欲に染まった目、目、目。


自分を取り囲む畜生のような荒い息。





そして、静かに見つめる、冷たい蒼の瞳。







佐伯・・・・!







見ている


男たちに犯されて善がり狂う自分を見ている







手にはグラス
紅い、深い色の、ワインで満たされた、グラス







「ヒッ・・・・!!!」



御堂の瞳が限界まで見開かれる。


先ほどまでの穏やかな色はどこにもない。
彼には今、現実の光景が見えていない。



ワインの香りがトリガーとなって、地獄絵図が鮮烈に蘇ったのだ。



本多の胸に御堂の手が当てられる。
予期して、本多は腕に力を入れた。

キツイ拘束はもしかしたら御堂の混乱に拍車をかけるかもしれなかったが、ここで離したら駄目だと思った。


歯を食いしばった直後、御堂の手に渾身の力がこめられた。


「っ・・・!」
「嫌だっ!!離せ、離せ、離せ・・・!!!」


押し返せないと分かると御堂の手は拳を作り、容赦なく本多の胸を殴る。

痛みに顔をゆがめながらも本多は力を緩めなかった。



今御堂の中で彼を拘束しているのは佐伯克哉だった。






逃げなければ、早く、逃げなければ・・・!



佐伯が嗤う。

今度は、何をする気だ・・・!!




嫌だっ





嫌だ・・・!!



嫌だ・・・・・!!






誰か、


助け・・・





誰・・




本多・・・







本多・・・・!!!!








「助けっ・・本多・・・・!!!」

「!」



自分の名前が出たことに驚いて、僅かに本多の腕の力が緩んだ。


だが御堂は正気を取り戻したわけではない。
僅かな隙を突いて、御堂が本多を突き倒した。



「っ、!!」







形の良い指が明確な殺意を持って本多の首に巻きつく。




気管が思い切り圧迫され、本多は苦悶に顔をゆがめた。














NEXT>>>




いやぁ、大変な展開になってきました〜☆(おい)
もっと短く書いてエロに持って行くはずが、鬱パートが楽しすぎて長く・・・。
なんか既にオオカミ少年的な予告になってそうですが(笑)、次回こそ完結です、そして次回こそエロです。え、ちょ、信じてくださいよ!?