御堂は本多に何を言われたのか、咄嗟に理解できなかった。
何度か無意味に彼の言葉を反芻して、やっと、意味を飲み込む。
意味を知って見開かれた目はしかしすぐに元に戻り、冷めた光が宿り、自嘲の色が混ざった。
緩く吊り上げられた御堂の唇からフッと息が吐き出される。
「君も・・・私を抱こうというのか・・・・」
「御堂さん、」
あんた何か勘違いしてる、と続けようとした本多の胸を押し返して御堂は抱きしめられていた半身を彼から離した。
失望と悲哀を滲ませた視線が本多を見て、反らされ、それからまた御堂は暗く笑んだ。
「私のような人間が男に抱かれて悶えるのは・・そんなに気分がいいものか・・・?」
本多の表情が険しくなる。
「勘違いすんな、俺はそんなこと言ってるんじゃない。」
御堂は暗い笑みを消さない。
「じゃあ何だと言うんだ?人と交わることの優しい部分を教える?下らない・・・要は私を抱こうというんだろう?あの男と、どこが違う。」
一緒にするな、と声を荒げそうになって本多は必死にそれを押しとどめた。
いまの御堂の様子からして、その反応は明らかに間違いだと分かったから。
レストランを出た後
無神経な追求に涙を流しながら怒鳴った御堂。
謝って、抱きしめたとき
体を強張らせながらも、本多の抱擁を解かせはしなかった。
帰り道でも
強引に引っ張ってきたこのホテルでも
傍に居ることを許してくれた。
触れられるのを恐れながらも
それでも、本多の手は拒絶しなかった。
きっと
ズタズタに傷つけられた心は優しさを求めていて、でも、その傷ゆえに、差し伸べられた手を信じ切れずにいるのだろう。
だから本多は心から伝えたかった。
自分の手は信じていいのだと。
貴方を傷つける手ではないのだと。
「全然違う。俺はあんたの身体だけ抱きたいんじゃない、身体ごと、心を抱きたいんだ。あんたを傷つける為じゃなく、あんたを癒したいから。」
本多の視線の先でアメジストの瞳が揺れた。
心を抱く?何を馬鹿な・・・。
そう一蹴したいのに、温かな体温と力強い腕が決心を鈍らせる。
白い歯が薄紅色の唇を強く噛み締めた。
駄目だ、揺らぐな・・・コイツは私を抱こうとしてるんだ、佐伯と同じように。
心を抱くなどと言って結局抱くのは身体じゃないか。
癒す?馬鹿な。
あんな行為で、どうやって人を癒そうというんだ。
そう思うのに。
今日一日で何度も感じた、本多の暖かさが去来して、邪魔をする。
温かな腕と、優しい体温と、嘘の無い瞳と。
そう、きっと違う・・・彼は違う、本多は・・・。
・・・・・彼は本当に私を・・・
私を・・・・・?
私を、憐れんで・・・・?
彼は・・・・・
男に犯されて、ボロボロになって苦しむ私を・・・・・憐れんで・・・?
見上げてくる御堂の瞳に絶望と拒絶の仮面が掛けられるのを感じて、本多は息を詰めた。
「御堂さん・・・?」
不安げに聞く本多の胸を御堂が強い力で押し返す。
思わずそれに従って身体を離した本多を、感情を押し隠した御堂の瞳が見る。
どうしたのかと見つめ返す本多に御堂が冷たい声で返した。
「――――同情で抱かれて慰められるほど、私は堕ちてない。」
御堂はそのまま本多から身体を離して立ち上がった。
私は何をするためにベッドから出たのだったか・・・ああ、何か飲もうと思ったんだ。
水でも飲んで寝てしまおう。
本多の存在を意識の外へ追い出すように無理矢理別のことを考えながら備え付けの冷蔵庫へと向かう。
憐れまれるなど、御免だ。
そう心の中で繰り返す。
その感情が、本多を信じたいという本心の裏返しだという事実から目を逸らしたくて生まれたのだと気付いてしまわないように。
その足を、
「最初は俺もわかんなかったんだ」
本多の唐突な呟きが止めた。
脈絡のない言葉に思わず振り返る。
本多は御堂を離した体勢のまま床に座って、しかし強い視線だけは御堂にしっかりと向けていた。
「最初は自分でもわからなかった。なんで御堂さんのことにこうも係わろうと思ったのか。」
話が見えず、御堂は困惑するように眉を寄せた。
本多は気にすることなく続ける。
「いくら成り行きで手錠や鞭の痕を見ちまったからって、御堂さんと俺は取引先の上司と部下ってだけの関係で仕事以外で話したこともなかったし、
それに初対面からお互い反りが合わないって分かってた人間だし。だから、傷を見たって他人のプライベートだしややこしいことに係わるのは御免だって
普通なら忘れたと思うんだ・・・少なくとも、無理矢理掘り起こしてまで事を荒立てはしなかったと思う。」
でも放っておけなかった。
拒絶されてもいいから、何とかしたいとおもった。
このままでは御堂は壊れてしまうから、と。
そう、御堂だったから。
「正直、レストラン出た後あんたに怒鳴られるまでわからなかった。でも気付いちまったんだよ・・・
俺は、苦しんでるのが御堂さんだったからこそ、無理矢理にでも係わり合いをもって、あんたの力になりたいと思ったんだ。」
御堂はそこに立ち尽くしたまま動かず、ただただ本多を見つめている。
そのまっすぐな瞳に囚われたように。
「最初は御堂さんのこと何て嫌なやつなんだって思ってた。でも仕事してくうちに俺はあんたの能力、すげぇなって尊敬するようになって。
そんなあんたが苦しんで、壊されかけてさえ居るっていうのに、我慢できなかった。
だから傷ついた御堂さんを見たとき俺の力で何とか出来ないかって思ったんだ・・・最初は無意識に。」
ゆっくりと本多が立ち上がる。
御堂はその動きを目で追うだけで動かないままだ。
立ち尽くす彼の頬に本多の広い掌がそっと添えられた。
その感触に御堂の身体が強張らなかったのは、真摯な本多の気持ちが伝わったからだろうか。
「他人行儀な哀れみや同情でこんなこといってるんじゃないんだ、御堂さん・・・
俺は、貴方のことを尊敬してて大切に思ってるから・・・・貴方のことが好きだから、言ってるんだ。」
御堂は息を呑んだ。
「・・・っ、急に・・何、を・・・・」
本多の瞳は揺るがない。
「愛してる、御堂さんのこと。」
声に出して、本多はその言葉がすとんと心のどこかに収まったのを感じた。
そう、愛してる。この人のこと。
辣腕で、誇り高く、冷徹なまでに完璧で
それでいて不器用で、人に頼ることが苦手で
そして、卑劣な人間に傷つけられて震えている、この人のことを。
見つめる先で御堂は困惑に瞳を揺らしている。
「急すぎるのはわかってます。俺だって、まさか今日一日でこんな感情になるなんて考えてなかったし・・・だから、信じられるまで待ちます。
俺が本当に御堂さんのこと癒したくてあの提案をしたんだって、俺が御堂さんのこと本当に大切に思ってるんだって、御堂さんが信じられるまで待ちます。」
御堂は何も返せずに居る。
本多は自分に苦笑してから、柔らかく笑みを見せた。
「なんか、一度にいろんなこと言い過ぎたみたいっすね。ホントに俺、待ちますから。今日はもう、寝ましょうか。」
そっと御堂をベッドのほうへと促して、自分もベッドに入ろうと背を向けた。
その手を思いがけない強さで取られた。
いや、思い切り掴んで引き戻された。
「っ、」
予想外の強引な動きに慌てて振り返った先、不機嫌そうな御堂が本多を睨んでいた。
「御堂、さん?」
何故そんな表情をしているのか分からず聞き返すと溜息が帰ってくる。
「君の、そういうところが嫌いだ。」
「え・・・」
「以前から好きではなかったが、本当に・・・・その、自分の感情に飲まれすぎて他人を気遣いきれなくなるところを何とかしろ。」
何も進まないと思っていた矢先の急な展開についていけず、本多は反応を見つけ損ねる。
開口一番聞かされた「嫌い」という単語が混乱に拍車をかけて、御堂が何を言おうとしているのか全くつかめなかった。
どう応じていいのか分からない、という表情の本多に御堂がまた溜息をつく。
「まったく・・・言いたいことだけ言って人の返事も聞かずに。私は予想外の事を言われたからと言って返事まで出来なくなるような子供ではない。」
人の返事くらい、聞け。
厳しいことを言いながらも口調と表情は柔らかく、御堂はそういった。
「あ・・・」
確かに自分は御堂に返答の時間さえ与えていなかった。
やってしまった・・・と決まり悪げな表情になる本多に苦笑してから、御堂はその瞳に真摯な光を宿した。
本多の腕を握っていた手がそっと離れる。
離れて行く体温を名残惜しく思いながら、見つめてくる御堂に本多も表情を引き締めた。
形の良い唇が徐に開く。
「今はまだ、君とどうこうしようとは思えない。」
今はまだ。
その一言に込められた強さが、否定そのものよりも本多の胸に落ち着いた。
「意味は、分かるな?」
伺うような御堂の言い方に苦笑を押し隠す。
ちゃんと伝わっているか不安なら、全部言葉に出して言えばいいのに、この人は。
本多は頷いた。
「言ったじゃないすか、待ちますって。傍には、いさせてくれるんでしょう?」
確認するように聞けば御堂の滑らかそうな頬が少し色味を増した。
若干、紫色の瞳が横へ反らされる。
「・・・ああ。」
素直でない回答は照れているのが明らかで、どうしようもなく愛しくて。
本多はおどけた振りをして御堂を抱きしめた。
まさかそう出ると思っていなかったのだろう御堂が一瞬遅れてもがきだす。
「っ、おいっ、調子に乗るな!!」
「いいじゃないすか、俺たち付き合うんですから、これくらい」
ニカッと笑って見せる本多に、今度こそ御堂の頬が紅くなる。
「だっ、だれが付き合うといった!」
「だって、まだどうこうしようとは思えないけど、将来的には深めたいんでしょう?なら同じことじゃないですか」
「将来的に深めようなんて誰も言ってないだろう!」
「あ、そういうこと言うんすか御堂さん。その素直じゃないとこどうにかしたほうがいいんじゃないですか」
「うるさいっ・・・いいから離せ!もう寝る!」
「どうせなら一緒のベッドで」
「調子に乗るな!」
ついに強引に押しのけられて、笑いながら本多は御堂を離した。
押し殺しているつもりでも隣のベッドでは丸聞こえなその笑い声に、わざと荒い動作で御堂はベッドへもぐりこむ。
憤慨も露わな彼の唇はぐっと引き結ばれていたが、火照った頬が戻る頃、それは本人も意識しないうちに緩やかに幸せそうな弧を描いて。
どこか柔らかな空気の漂う一室で、あれほど毎日見ていた悪夢にも妨げられることなく、御堂は心地よい眠りに抱かれていった。
「ん・・・」
眩しさと、ほのかに感じる良い香りに御堂は薄っすらと目を開けた。
何気なくみやった隣のベッドは掛け布が乱雑に捲られていて、そこに寝ていたはずの男はいない。
二三度目を瞬いてから、ゆっくりと覚醒し始めた耳が漸く微かな話し声を捉える。
一瞬、御堂の頭を佐伯の顔が過ぎった。
本多が話す相手、という連想が結びついたためだ。
だが、ありえないと理解する程度には寝起きの思考もつながっていたから、御堂は落ち着いてベッドから出た。
ドレッシングルームへ行く途中、話し声の正体は知れた。
本多がルームサービスを受け取っていたのだ。
「あ、おはようございます」
「おはよう・・・」
ワゴンに並ぶのは、クロワッサンやハードロールのパンの入った小さなバスケットに、
スクランブルエッグやソーセージなどが乗った皿、サラダ、スープ、フルーツと、コーヒー。
意外そうにそれを見る御堂に本多は「あ」と声を漏らした。
「朝はパンっぽいなぁと思ったんすけど、もしかして和食派すか・・・?」
「?いや、いつもパンだが。」
じゃあ何でそんな意外そうな反応なのかと不思議そうにしている本多に曖昧な返事を返して御堂は顔を洗いに場を外した。
本多が細やかに気遣いをする性格に見えなかったというのが先ほどの反応の理由だったが、よく考えればそんなことも無かったか、と思いなおしたのが本当の所だ。
部屋に戻るとワゴンの上にあったものが窓辺のテーブルに並べられていた。
戻ってきた御堂を見て本多がポットからカップへコーヒーを注ぐ。
「君はもう済ませたのか?」
「え?ああ、先に使いました。ちょっと早く目が覚めたんで。」
言われて見れば本多はもう御堂と同じくシャツとスラックス姿だ。
身だしなみは充分に整えられ、頑固な寝癖の付きそうな髪も整えられている。
この体格の男が動き回っていても起きなかったとは、どれだけ自分は熟睡していたのかと意味も無く気恥ずかしくなった。
ソファに座れば向かいに座った本多が「いただきます」と手を合わせた。
なんだか懐かしい動作に笑みが漏れる。
御堂もそっと手を合わせてからコーヒーカップを手に取った。
芳しいそれを口に含みながら正面の光景を見る。
英国式の朝食と本多は、何となくしっくりこない。
「君こそ朝は和食なんじゃないのか?」
ふと思いついて聞いてみると「あ、よくわかりましたね」と返ってきた。
やはり、なんとなくそんなイメージだ。
「やっぱ米のほうが腹持ちいいっすから。」
「たしかにそうだが・・・朝から米は重くないか?」
御堂もホテルや旅館の朝食で和食をとることが有るが、毎朝パンに慣れている人間には少し量が多い。
本多は首をかしげた。
「そうすか?パンだと直ぐ腹減りません?たまにはこういうのも良いすけど、基本米です。自炊か、たまに牛丼屋で。」
バスケットからパンを取りながら御堂は軽く目を瞠った。
「牛丼?朝からか?」
想像するだけで胃がもたれる、と言いたげな表情に本多は目を瞬かせた。
「へ?あぁ、アンタそういうとこ行きそうにないもんな・・・別に牛丼食うわけじゃないっすよ。
朝食用のメニューがあるんです。ご飯と味噌汁に焼き鮭と納豆みたいなやつ。」
「そうなのか・・・」
仕事のスケジュール的に昼が遅くなりそうなときは朝から牛丼も食べるが、あからさまにホッとした表情の御堂をみてその辺は省略した。
たしかに御堂は朝から重いものを食べそうに無い。
ルームサービスを頼むときはイメージで洋食だと思ったが、洋風の朝食を上品に食べる御堂は厭味すら感じないほど画になる。
「御堂さんはいつもこういう朝食なんすか?」
パリッと調理されたウィンナーを頬張りながら聞くと、口に含んでいたパンを飲み下してから「ああ」と御堂が返事をした。
綺麗に整った長い指が一度ナプキンを経由してからフォークへ伸びる。
「スープは時間があるときしか作らないが、大体同じようなものだ。」
「あ、自炊するんすか」
キッチンに立つ御堂が何となくイメージしにくくて意外そうな声が出た。
御堂が心外だというような表情を返す。
だが確かに、なんにでも完璧を期しそうな彼のこと、料理もうまそうだ。
「君こそ自炊が出来るとは意外だ」
今度心外そうな表情をするのは本多だった。
「しますよ。そうそう外食できるような身分じゃないっすからね。」
厭味のつもりで返せば「まあそうだろうな」と涼しげに返答された。
なんとなくムカつく。
「俺の料理は旨いんすよ。今度作ってあげます、特製カレー。」
「カレー?」
その単語を聞いて御堂が思い浮かべたのはホテルやレストランで出される欧風カレーだ。
それに本多も気付く。
確かに、市販のルーを使ったカレーなど食べそうな人間ではない。
「御堂さんが食べてるようなカレーとは思えない値段のカレーだって目じゃないんすから。俺のカレーは素材の味重視。すっごい旨いっすよ。」
「ほぉ・・・?」
御堂の目は胡散臭そうだ。
「へぃへぃ、信じないならご勝手に。食べれば分かりますから。」
本多のことだ、男の料理とかなんとか都合のいいタイトルをつけてやたら大雑把な調理をするに違いないと御堂は結論付けた。
まだ何やら御堂の反応が気に入らないらしい本多が力説している。
適当にそれに応じながら、何の憂いも無い朝に御堂の気持ちは心地よく凪いでいった。
彼ならば、信じられるかもしれない。
穏やかに過ぎて行く時間、暖かさを感じる雰囲気。
少しでも長くこの時を過ごしていたいと思う。
他愛ないことを話し、ゆっくりと支度をして。
その日は何をするでもなく2人で過ごし、心地よいオープンカフェで昼食を取って別れた。
やってくる一日に絶望しか見いだせなかったのが嘘のように、何ヶ月ぶりかに御堂は軽やかな心で明日を思いながら帰途についた。
NEXT>>>
致命的な矛盾に気付きまして(笑)、散々悩んだ結果、1話伸ばして予定通りのエンディングへ持って行くことにしました。
なのでエロは次に持ち越し。次はエロ!と待っていたかた、もしかしていらっしゃったらごめんなさい(笑)
朝食の会話は私が良くします(笑)ちなみに私はパン派なので御堂さんの台詞を言って友人に本多の台詞を返される(笑)