『御堂だ』

電話越し
四年ぶりに聞いた御堂の声を、俺は聞き分けることが出来なかった





約束の時間ぴったりにインターホンが鳴り、応対に出ると、懐かしい顔がモニターに映っていた。

四年前、MGNを辞めてから連絡を取っていなかった相手からの突然の電話。
それだけでも十分に驚いたのだが、その内容は更に予想外だった。

『何も聞かずに抱いて欲しい』

声の印象が違うこともあって、それを聞いたときはいたずら電話かと思った。
だがそれは間違いなく御堂のもので、冗談でもなんでもないという。
記憶に残る声にあった覇気も張りもない声で、しかし確かに冗談めいた様子は微塵もなく、御堂は繰り返した。
「お前、何かあったのか。大丈夫か・・・?」
答えを言う前に思わず聞いた。
彼の声の調子は明らかにおかしかったのだ。

生きるのに疲れた、そんな言葉が似合いそうな・・・御堂孝典には釣り合わない、敗者のような声。

俺の問いかけに彼は沈黙して『わからない』と答えた。
搾り出すような調子で。

電話の向こうで彼が泣いているのかとさえ思うほどに苦しそうな声だった。

俺はそれ以上何も言えず、彼の願いを了承した。
お互いの性的趣向は同じだったが、俺も彼も抱かれる趣味は無かったから一度も関係を持ったことが無かったのに・・・
四年の音信不通の末に突然抱いて欲しいとはどういうことなのか。
それにあの声の調子。
何か吐き出したいことがあるのなら聞こうと、バーで待ち合わせようと言ったが、御堂に断られた。
直接部屋に来るという彼の性急さに驚いて聞き返せば、酒を飲むような気分ではないのだと謝られ、今まで部屋で待っていたのだ。
「久しぶりだな」
ドアを開け、御堂を迎え入れる。
俺の言葉に彼は少し自嘲気味な笑みを零した。
「ああ・・・久しぶり」

四年ぶりに聞いた肉声は、やはり彼のものでは無いかのように力を失っている。
目の前の唇が動いて確かに紡ぎだしたものだというのに、その事実に納得できない程に。

「元気そう・・・ではないな」


青白い顔、艶の無い肌。

頬は記憶よりもずっと鋭い線を描き、衣装が心なしか体より大きい。

目に力は無く、どう感じようとしても、彼を彩っていたあのオーラの欠片も無い。


この男はこんなに小さかっただろうか?


俺の言葉に御堂は僅かに笑うような気配を見せただけで答えなかった。
触れられたくない事実なのだろう。
初めて入る俺の部屋に何の興味も示すことなくただそこに突っ立っている彼に何か飲むかと聞くと、首を振られた。

「本城・・・久しぶりで何の挨拶も無く、悪いんだが・・・」


早く抱いて欲しい、そう言うのだろう。


「・・・こっちだ」
まともに表情を作ることもできずにそこにいる御堂は春霞のように朧げで・・・触れようとしているうちに跡形も無く消えてしまいそうに見え、
俺は何も問わずに御堂を寝室へ入れた。

するりとジャケットを脱いだ御堂の背中に、俺は息を飲む。


少しやせた?
そんなものではない。

以前はシャツの上からでも分かった若々しい筋肉の張りが消えうせている。


ごっそりと筋肉を落とした身体は痛々しいほどに細く、昔日の面影は全く無かった。




その上・・・。




「お前、それ・・・」


シャツを落とした彼の背に、胸に、腹に、無数に残された傷。

鞭が肌を裂いた痕、そして手首には消えかけた手錠の痣。


息を呑んだ俺を御堂が振り返る。
「何も・・・勝手なのは分かっている・・・・・何も、聞かないでくれ・・・」
「御堂・・・」
彼は小刻みに震えていた。


四年、離れている間に何があったというのか。
この男は被虐を好むような性格には成りようもない人間だった。

あのプライドの高さと支配欲が一朝一夕に変わるとは思えない。

だから、この男がこれほどの数の痣を作るほどに性的な暴力を受ける理由があるとしたら、それは無理強いとしか考えられない。



問い詰める言葉が喉元まで出掛かった。
だが、それを俺は飲み込んだ。


御堂の目が、頼むから触れないでくれと俺に懇願していたから。


そして、今俺に望まれた役割は彼の良き友人でも指導者でもなく、セックスの相手というそれだけだと理解していたからだ。



それ以上何も言わず服を脱ぎ、先にベッドに横たわった御堂に覆いかぶさる。
肌と肌が触れた瞬間、御堂が大きく身を震わせた。

「おい」
「・・・っ、すまない・・・続けてくれ」
尋常でない反応に驚いて手を引くとそれを掴んで止められる。
その手もまた僅かに震えている気がして慎重に御堂の顔を見ると、瞳の中にある怯えを隠すように瞼が視線を遮った。
一体何を抱えているのか。
遣る瀬無い溜息を噛み殺して、宥める様に柔らかく御堂の肌に指を滑らせる。
何というわけでもないがそうしたほうがいい様に思い、唇を避けて軽く触れるようなキスを落とす。
そのたびに御堂の身体は小さく震え、指がシーツを硬く握る。
敏感なんだな・・・。
そう思いながら愛撫の手を核心に近づけたところで、御堂の手が素早く上へ上がった。
口を塞いだようだ。
「・・・御堂?」

手の動きを何気なく目で追って、視界に飛び込んだ御堂の顔に俺は慌てて身を起こした。


真っ青だったのだ。


感じていたわけではない。
「お前・・・っ」


吐き気を耐えていたのだ。



なのに御堂は青い顔で指を噛み身体を強張らせながら、震える声で「続けて、くれ・・・」という。

「馬鹿か!お前、嫌なら嫌だと言え!」



「嫌なんかじゃない!!」



突然、御堂が声を張り上げた。

「っ、おい」

驚いて手を引く。



「嫌なんかじゃない・・・っ、私はっ・・・私は、男に抱かれるのが好きなんだ・・・・・」



うわごとのように御堂が言う。

その瞳は何かにひどく怯え、追ってくる何かから逃げる者のような恐怖を宿している。




「違う、違う、私は、あいつに抱かれたいんじゃない・・・っ、男なら、誰でもいいんだ・・・、あいつでなければ反応しないなど、っ、ありえない・・・!」




御堂は呪文のように繰り返す。


自分に暗示をかけているかのようなその言葉。




胎児のように丸まって震える彼に、かけられる声を俺は持たなかった。













夜毎、去っていった暴虐者の夢を見ていた。

そしてそのたび、夢の中で自分を酷く抱いて消えて行く幻影に身体が欲情した。


“あんたの事が好きだって気づけばよかった”


そう囁くあの声で目が覚め、濡れた下着に絶望する。




あの男が私の前から去って一ヶ月は経ったのだろうか。



すべてを奪い、すべてを壊し、そして、最後の最後で私の深部を抉って、そのまま姿を消した男。


憎んだ。

罵倒した。

恨んだ。

死をも願った。


なのに、そのどれも、心の底からは出来なかった。



絶対に認めたくない感情が、憎悪を阻む。





“御堂孝典”


殺したいほど憎い、悪魔の声が囁く。





“俺は”





聞いたことの無いような柔らかな感情と、痛いほどの後悔を載せて。










“貴方の心が欲しかった”











捨てられるものは捨てた。

壊せるものは壊した。


何もかも、あの残酷な言葉を消し去りたいがためだったのに。



哀しい愛の告白が、身勝手で残忍なあの温かな言葉が、どうしても消えない。





御堂の記憶の奥深くに刻み込まれて、何かに大切に守られて、憎悪も殺意も、それを壊せない。





それを守っているのは紛れも無く自分なのだと、自分自身があの言葉を何よりも大切に守りたいのだと、そんなこと信じたくなかった。



あの言葉を望んでなどいなかった。
応える気持ちなどありはしない。



自分はあの男を憎んで、殺したいほど憎んでいて、そして、それだけなのだと言い聞かせた。








――そうでなければ、耐えられなかった








もう手の届かない相手

それも、自分の全てを踏みにじった陵辱者

そんな男に焦がれているなど、許せない

心も身体も、あの男を求めなどいないのだと叫ぶように繰り返した


だから、夜毎夢に昂ぶる身体の反応は、あの男ではなく誰でもいいから男を求めているのだという証がほしかった。



それで、電話を取った。






なのに・・・。






「なぜ・・・っ、なぜだ・・・・!」


己の身を抱きしめて御堂は呻いた。


身体の震えが止まらない。

本城に触れられた瞬間、肌が拒絶するかのように粟立って、愛撫する感触に吐き気がこみ上げた。


違う、お前の反応はそうじゃない、自分の身体に言い聞かせても聞きはしなかった。






これじゃない、この指じゃない、この唇じゃない、求めているのは彼じゃない、身体中がそう叫んで御堂に反抗した。






「違う・・・、違う・・・っ、そんな筈、あるものか・・・!」







惨めで、滑稽で、哀しくて、苦しくて。

行き場を失った想いが牙を剥いて御堂の心を食い破る。




心の流す血か・・・涙が止め処なく溢れた。

















本城が寝室に戻ると、御堂は部屋の片隅で蹲っていた。

壁に爪を立てたのか・・・掴める筈も無い壁面に、やせ細った手がしがみ付いている。
驚かせないように近づいて、傍らにマグカップを置く。
暖かな湯気の昇るそれは、ブランデーを垂らしたホットミルクだ。
香りだけでも休まるだろうと近くに置いて、微動だにしない御堂の身体を後ろからそっと抱きしめた。
ビクリと大きく震える身体を、あやす様に包み込む。

「酷い恋をしてるんだな、お前」

本城の声は静かだった。
御堂は応えなかったが、取り乱して否定することも無く黙っている。



『違う、違う、私は、あいつに抱かれたいんじゃない・・・っ、男なら、誰でもいいんだ・・・、あいつでなければ反応しないなど、っ、ありえない・・・!』

先ほどの御堂の叫びが木霊する。
大体の事情を、本城は察することが出来た。



この御堂孝典を見る影も無く傷つけた男に憎悪を抱かぬわけでもなかった。

やせ細り、弱りきって、それでも自分を踏み躙った男を憎みきれずに血を吐く思いをして苦しんでいる。


本城は御堂が好きだ。
恋愛感情ではないが、友情というには深い。



「お前は馬鹿だよ」
本城の言葉に御堂が少し身を強張らせた。

「ほんとに、馬鹿だ」


彼がもう少し出来ない男だったら

己の内に目覚めた感情を踏み躙って、相手を恨んで逃げることが出来ただろうのに



彼は、自分の深部から目を背けるには強すぎ


思いを無視するには賢すぎ


相手を殺すには優しすぎ




何もかも終わらせるには、弱すぎた




「御堂、残酷なことを言うけどな」
御堂を抱きしめる手に少し本城が力をこめる。
「お前はちゃんと向き合うべきだ、本当の気持ちと。」
御堂は何も言わなかったが、勝手なことを言うなという言葉が聞こえてきそうだと本城は想った。

自分でも無責任なことを言っている自覚は有る。


だが。



「お前このままじゃ、自分で自分を傷つけて、壊すぞ、自分を。」
「・・・!」



本心に抗う御堂を、本城は針鼠のようだと思うのだ。



自分を守るための鋭利な針で、相手の男を想う心を拒絶している。


そのままでは、柔らかく繊細なその心は、御堂自身の針に切り裂かれてボロボロになってしまう。





そうしたら、そのとき一番傷つくのもやはり、御堂なのだ。





「辛くなったら、俺にあたればいいから。」









暫くの静寂の後、微かな嗚咽が響きだす。







本城はじっと彼を抱きしめていた。


腕の中の身体が溜め込んでいた感情を涙に換えて全て吐き出して、ついにはその身を安らかな夢に委ねるまで。






















昨日ベッドの中で眠れないーーーー!とゴロゴロしてたら降って来た。
というわけでまた突発ネタですた。
メガミドの空白の一年を書くのは初めてかな。
実際には御堂さん、一人で乗り切ったわけですが、頼れる人が見つかってたらもう少し楽になったんじゃないかなと思って書いてみました。
御堂さん、あんた、強すぎるんだよ(ノ_;)
この設定で再会した後を書くのも楽しいかもしれないですねー・・・眼鏡を殴ってくれないかな本城氏www

しかしリクエストとかお題とか抱えてるときに限ってこう、突発的に降ってくるんだよな・・・・ネタの神様にブンブン振り回されてます。