「御堂様」
マンションに帰り、エントランスから続くロビーを歩いているとフロントから出てきたコンシェルジュが御堂を呼び止めた。
立ち止まり、振り返ると白い小さな箱を慎重に両手で持っている。
「お預かり物でございます。」
「私に?」
御堂は怪訝そうに白い箱を見た。
つるりとした紙で出来たそれにはブルーグレーのリボンが掛けられている。
どうみても宅配業者のものではない。
コンシェルジュはその疑問を察したのだろう。
「お店の方が直接、御堂様にお届けするようご友人の方から注文を受けたとのことで持ってこられました。」
御堂の首が僅かにかしぐ。
「友人?」
誰だ、と思ってもう一度箱を見るとリボンにカードが挟まっている。
名詞大の白い封筒からカードを取り出す。
そこに書いてあるメッセージを見て、御堂は大きく目を瞠った。
「御堂様?」
息を呑んで絶句した御堂に気遣うような声が掛かる。
御堂はそれで我に返って、ごまかすように曖昧な笑みを返した。
「いや、確かに私宛のものだ。受け取ろう。」
「では受領書にサインをお願いいたします」
箱を受け取り、預かり物の受領確認書にサインをする。
それからどうやって部屋まで行ったのか、御堂には記憶が無かった。
リビングのローテーブルに箱を置いて我に返ったときには、部屋にいた。
いつのまにここまで上がってきたのかと動揺してから、視線を白い箱に向ける。
真っ白なその箱はリビングの照明の下、光のベールを纏っているように見えた。
トサ、とソファに腰を落とす。
手に何か当たって痛い事にその時漸く気付いた。
強張りを解くようにゆっくりと開いてみれば、握り締めていたのは先ほどのメッセージカードだった。
上質な紙で出来たそれは無残に潰れることはなかったものの、中央に二つ折りの深い皺が入ってしまっていた。
御堂はそれを消すように指で谷間をなぞる。
白い指はそれから、黒いインクで書かれた手書きの文字を柔らかく撫ぜた。
誕生日、おめでとう
たったそれだけ。
名前もない。
だが御堂にはそれが誰の筆跡かすぐに分かった。
何度この字を見ただろう。
パソコンの画面に貼られた付箋メモ
二人で練った企画書に書き加えられた注釈や考察
文書にコピーされたサイン
いらないと言ったのに送ってきた年賀状
戯れに送られたふざけた柄のクリスマスカード
最後に見た彼の筆跡は
"辞表"
という文字を作っていた。
もう長い間見ていなかった。
五年、だろうか。
「五年、か・・・」
カードを見つめたまま、御堂はポツリと呟いた。
折れてしまったカードの文字。
簡潔なそれに、御堂は悪態を付いた。
「まったく・・・近況を書く気遣いも無いのか、本城」
誰よりも信用できる同期
誰よりも油断なら無いライバル
そして・・・始まらぬまま別れた恋人。
互いに互いに好意を持っていた。
そのうち新たな関係が始まるのだろうと互いが感じていた。
だが結局、その日は訪れなかった。
胸が疼くような甘い気持ちは無かった。
ただ、本城も御堂も、仕事を挟んで二人、真剣に議論を戦わせたり互いの戦略を競ったりすることが心地よかった。
二人とも弱音を吐くような性格ではないし、御堂にいたっては生来の性格から、たやすく相談もしなかったが、それでも二人でいれば落ち着いた。
本城が落ち込んでいると御堂が「いいワインバーを見つけた。奢れ」と捻くれた誘い方で愚痴を聞きに行ったし、
御堂がダメージを受ければ意固地に断る彼を引きずるように本城が飲みにつれていって何を言わせるでも言うでもなく一晩付き合った。
二人ともいつか付き合おうと思っていた。
燃え上がることはない、もっと淡白だが確かな想いがあった。
キスもセックスも、触れ合うことも無かった。
付き合えばそういう事もしたかもしれないが、それもなんとなく、だっただろう。
だが思いを伝えることも無いまま、終わりの日がやってきた。
何故本城が解雇に近い形で社を去ったのか。
表向きは大きな受注ミスをしたことが理由になっていた。
だが誰の目に見てもそのミスは不自然で、陰謀ではないかという噂が実しやかに囁かれた。
そしてその陰謀を企てた人物ではないかと言われたのが、御堂だった。
当時、商品企画開発部長の座が前任者の昇進によって空く時期で、数人の候補の中でもっとも有力で更に尤も若年だったのが本城と御堂だった。
二人のうちどちらかが最年少で部長という栄誉を手に入れる直前、片方がきな臭いミスで解雇同然で会社を去り、もう一方が部長の座に収まった。
御堂が疑われるのは当然だったかもしれない。
事実無根だったが、御堂は何も言わなかった。
最良の友人と最良のライバル。
その両方を同時に無くした御堂を思いやるものは僅かだったし、彼らが暖めていた想いを知るものなど居なかった。
だから、御堂が合理性と効率を偏重したサイボーグのようになった理由を正しく説明できる人間もまた存在しなかった。
御堂はカードと、リボンの掛かった箱を静かに見つめる。
そういえば五年前は、第一室の一員だった二人は企画開発部の部内コンペに出す製品企画に二人で取り組んでいた。
五年前の昨日も月曜日で、企画書の内容を詰めるためにその日も遅くまで会社に残って二人、オフィスで議論を戦わせていた。
「あ、わりぃ」
二人の議論を遮った携帯の着信音に、本城が短く断る。
御堂が「ああ、構わない」と言うと軽くジェスチャーで謝ってから携帯を持ってオフィスを出て行った。
脱いでいたジャケットを羽織ながら携帯を耳に当てて出て行く後姿を見送って、御堂は伸びをした。
議論に熱中しすぎてずっと同じ体勢でいたせいで、ぐぃと伸ばした身体に心地よさを感じる。
時計を見るともう直ぐ21時半を回る。
途中適当に買ってきた軽食で夕食は取ったが、流石に少し休憩が必要だ。
御堂は立ち上がり、コーヒーメーカーで二人分のコーヒーを取る。
本城がいつ戻ってくるかはわからなかったが、温くなってもコーヒーが冷めるほど長い電話をしていた奴が悪いと御堂は気にしない。
さすが外資系というべきか、日本よりもオフィス設備が社員優先で、コーヒーも中々美味い。
香りと温かさに癒されていると、フッと電気が消えた。
「?」
停電だろうか。
非常電源が付くだろうと思ってまたコーヒーを飲んだが、暫く待っても電気がつかない。
御堂が少し不審に思い始めたとき、カタッとオフィスの反対側から物音がした。
「本城?」
戻ってきた本城だろうか?
だが御堂になんの声もかけないのはおかしい。
少し身体が緊張する。
物音を立てないようにしていると、また同じあたりから音。
「誰だ」
御堂は立ち上がって、大股でそちらに近づいた。
オフィスの一番奥にあるデスクの影に回りこむ、が、誰も居ない。
「・・・?」
と、灯りが戻った。
何だったのか訝しがりながら自分の席に戻る。
すると先ほどまで無かったものがデスクの上にあった。
「っ・・・」
直径10センチほど小さなケーキ。
艶々としたチョコレートにコーティングされたそれには、
“Happy Birthday Takanori”と入ったケーキには少々大きすぎて不恰好なメッセージ入りのチョコレートの板と、
短くカットしたのかこちらは違和感の無い大きさの細いロウソクが一本。
御堂の頬にサッと朱が昇った。
嬉しかったからではない、犯人が分かったからだ。
ついでに、さっきの滑稽な己の姿を見られたと知ったからだ。
「本城!出て来いっ」
御堂が怒鳴るや否や、入り口から笑い声。
睨めば、もう辛抱できませんでしたとでもいうように腹を抱えて笑う男が一人。
「はははっ、あぁ、っ、おもしろかった・・・!お前面白すぎるって!」
「黙れっ」
悔しさに頬を染めて睨む御堂に、やはり笑いながら本城が歩み寄る。
完全に気分を害した御堂はそれを無視して乱暴に椅子に座った。
「まあそんなに怒んなって。ほら、折角のケーキにロウソクが垂れるぞ。」
すい、と御堂の視界に入るようにケーキを押してくる。
ムッとした顔で本城を睨むと、思いがけず優しい顔で微笑み返された。
「誕生日おめでとう。俺はお前がこうしてここに居ることが、ほんとに嬉しいよ。」
「・・・・」
思わず真顔でそれを見つめ、ニッと笑い返されて我に返った。
仏頂面で乱暴にロウソクの火を吹き消す。
そのままパソコンのモニターに顔を戻すと、隣でまた笑い声がした。
「嬉しかったろ?」
一方的に驚かされて、しかもさっきの笑顔にちょっと絆されたのが悔しくて御堂は返事をしなかった。
来年も楽しみにしとけよ!と笑った男は、次の年の九月が来る前に社を去った。
「・・・嬉しかったよ」
メッセージカードに、御堂はあの日の答えを返す。
ずっと持ったままだったそれをテーブルに置くと、白い箱に手をのばした。
中身を確信しながらスルリとリボンを解く。
箱の中に鎮座していたのは、小さなチョコレートケーキに不釣合いなチョコレート板と短く切った細身のロウソク。
芸がないなと文句を言いながらケーキを眺めた御堂は首をかしげた。
「・・・・?」
チョコレート板に書かれたメッセージが違う。
数字が書かれていた。
「080・・・・アイツめ。」
音読が悪態に変わる。
携帯電話の番号がホワイトチョコレートで書かれていた。
御堂はチョコレートの板を摘んでケーキから外すとパキンと折ってゴミ箱に捨てた。
不釣合いな板を無くしたケーキにロウソクを灯せば、五年前より見栄えのいい誕生日ケーキが出来上がる。
満足そうにそれを見つめてから御堂はふっと表情を和らげた。
それからゴミ箱に放り投げられた電話番号に一瞥をくれてやる。
「今頃になってぬけぬけと」
だれが連絡などしてやるものか。
そういう御堂の顔は穏やかに微笑んでいる。
このまま知らぬ顔をしていれば向こうが焦れて連絡を取ってくるだろう。
あちらは御堂の今の住所を知っているのだ。
五年も音信不通になっておきながら今更未練がましくプレゼントなど贈ってよこした上に御堂から連絡を取らせようとするあたり、神経の太さは変わっていないようだと一人で笑う。
「さっさと顔を出せ馬鹿め」
どうせ、御堂と顔を合わせられる状況になったから、あの無様な退職劇から五年、迎えに来た位のつもりでいるのだろうが。
御堂はソファから立ち上がると、ガラス越しの摩天楼に不敵な笑みを放り投げた。
「今の私を五年前の私と思うなよ。」
せいぜい必死に口説いて、五年前の甲斐性なしを挽回するといい。
「そう簡単には落ちてやらないから覚悟しろ」
夜景のどこかにいる嘗ての友人兼好敵手兼恋人未満に宣戦布告した御堂の瞳は、五年前のあの日々に彼と議論を戦わせていた時と同じ光を宿していた。
と、御堂がその表情をふっと顰める。
「・・・一日遅れている時点で出だしからマイナスだな。」
悪態をつく御堂の後ろ、テーブルに置かれた小さなバースデーケーキに灯されたロウソクの火が暖かく揺れた。
何故突然本城×御堂なのかは風に聞いておくれよ。