「このたびは我が社と契約してくださり、ありがとうございました。今後はビジネスパートナーとしてご期待以上の働きが出来ますよう全力を尽くさせて頂きます。」


佐伯は中年の男に深々と頭を下げた。
斜め後ろに立つ御堂もそれに合わせて礼をする。
「ああ、君たちは本当に頼りに出来そうだ。期待しているよ。」
男は機嫌よくそう言うと上品なレストランのエントランス前に横付けされたベンツの後部座席に乗り込んだ。
ドアを閉めようとして、一旦止まる。
「佐伯くん」
「はい、なんでしょうか」
佐伯が人当たりの良い笑顔を浮かべながら身を屈めて男の傍による。
「今後も、プロジェクトを主導するのは御堂くんで頼むよ。彼に任せれば間違いないからね。」
全幅の信頼といっていい感情をこめた言葉に、一歩下がったままの御堂がもう一度頭を下げた。
「恐れ入ります」
佐伯も笑みを消さぬまま頷く。
「そこまで御堂を買っていただいて恐縮です。もちろん、社長のご要望通りに致します。」
「頼んだよ」
そう言って笑うと今度こそベンツのドアが閉められる。
2人で礼をしてそれを見送る。

テールランプしか見えなくなったところで佐伯と御堂は目を合わせた。
2人の顔に達成感と自信に溢れた笑みが浮かぶ。

「これは、乾杯しないとな」
高揚感を滲ませた声で言う御堂に佐伯も笑って同意した。
「ああ、最高のワインで」
それから2人で破顔する。

ベンツで去っていった男の会社と大口契約を取り付けた。
佐伯たちの会社の規模から考えれば破格の条件で。


2人は勝利の美酒に酔うため、いつものワインバーへと足を向けた。







「破格の大口契約を取った御堂専務に乾杯」
「乾杯、弱冠25歳の敏腕社長に」

ワイングラスが澄んだ音を立てて触れ合う。
満足げな顔でワインを味わいながら飲み下す御堂を、佐伯は眩しげに見遣った。

やはりこの人は、今でも自分の憧れなのだと再確認しながら。


今回の契約が取れたのは偏(ひとえ)に、御堂の実力と努力の賜物だった。
いくら佐伯が有能だと言ってもまだ25歳では社会的に若すぎる。
実力に経験と実績を上乗せした御堂には能力においても社会的信頼においてもまだまだ及ばない。
佐伯もそこを弁えて、大きな契約は御堂に任せることにしていた。
実際、そのほうが成功が確実なのだ。
今回の契約も、恐らく佐伯が交渉に当たっていたら取れなかっただろう。
相手は御堂の実績と経験に裏打ちされた実力に信頼を寄せてくれたのだ。

まだまだ、この人には追いつけない。


佐伯の中で御堂は、初対面のあの日と同じように輝いている。


じっと見つめる佐伯の視線に気づいて御堂が眉を上げた。
「何を見てる」
普段ならワントーン下がるところだが、今日は流石に機嫌が良いのだろう、どこか楽しげだ。
佐伯とて大口契約に気分が高揚している。
だから素直に答えてやることにした。
「まだまだアンタには追いつけないと思ってな」
滅多にない素直な回答と、佐伯の口許に浮かんだ邪気の無い笑みに御堂が目を瞬かせる。
暫く言葉を探すが見つからなかったのか口を閉じ。
それから取り繕うようにワインを一口飲んだ。
流石に佐伯の眉が顰められる。

「・・・・なんだその反応は」
「・・・・・いや・・」

佐伯が殊勝だと気味が悪いと思った御堂だったが、流石にそれを口に出すことは避け、曖昧に誤魔化す。
こんな気分の良い晩ならそこまで追及はしてこないだろうと考えたのは正解だったらしく、佐伯はどこか気に入らない様子では有ったがそれ以上食い下がってこなかった。
「ワインはどうだ?」
ウェイターが残り5分の1ほどになった佐伯のグラスにワインを継ぎ足すのを見て御堂が問う。
長い指でグラスの足をもち、くるりと軽く回してから佐伯は満足げに唇の端を持ち上げた。
「アンタが選んだだけある。いつもどおり、最高だ。」
「よかった」

会社を設立して一年。
当初は別々に住んでいたが、二ヶ月もすると御堂が自分の部屋に帰るほうが稀になり、ならばと同棲を始めたのが設立四ヶ月目。

それから半年余り。

一室を改装して作ったワインセラーにも御堂が持ち込んだり新たに購入したりしたワインが並んでいる。
佐伯もそれなりにワインに詳しくなっていて、今では御堂が作る料理に相応しいワインを的確に選ぶこともできる。
それでもやはり、御堂が佐伯の料理に合わせるワインのセレクトは本当に見事で、この分野では二歩も三歩も御堂に譲らざるをえない。

「そういえば、今日の接待のワインもアンタが選んだんだったな。」
ワイン通を自任する社長を唸らせていたのを思い出す。
御堂が少し得意げに頷いた。
「ああ。大当たりだっただろう?」


元々、佐伯たちの会社との取引など考えていなかった社長の翻意を導き出したのも、御堂の手柄だった。
ほぼ門前払いに近い扱いを受けた後、社長行きつけのワイン専門店で御堂が偶然再会し、結婚記念日に夫人へ贈るワインを選ぶのに口ぞえしたのだ。
結果、夫人は大変に御堂のセレクトしたワインを気に入った。
普段はあまりワインを評価してくれない夫人からの絶賛を受けた社長は御堂に大層感謝し、それが契約について詳しい話をする場を獲得するチャンスを作った。
少し嗜好が違うらしいとの社長の話から夫人の好みを読み切った御堂の鮮やかな勝利だ。

もちろん、社長の行きつけのワイン専門店で御堂が彼に会ったのは偶然ではなく、リサーチの結果が生んだ必然である。


「ホント、今回の契約は全面的にアンタの手柄だな。」
御堂は佐伯の言葉に満足したようにワイングラスを傾ける。
佐伯がニヤリと笑ってその耳元にそっと唇を寄せた。
「帰ってから、たっぷりご褒美を上げるから、期待しとけよ」
「・・・、なっ!!」
ぱち、と目を瞬かせた一瞬後、御堂の頬に鮮やかに朱が昇り、紅く染まった顔で絶句しながら佐伯を見る。
佐伯はそんな御堂を見るのが楽しくて仕方ない。

仕事中の隙のない御堂も凛と気高くて好みだが、やはりそんな彼が自分の一言で簡単に感情を乱すのは見ていて気分が良いものだ。
もちろん、自分のキス一つでとろんと快楽に溶ける彼を見るのが何にも勝るが。


「お前はどうしてそういつも???」


お決まりの抗議に佐伯は表情をさらに緩めたのだが。
それは後ろから掛かった声に中断された。



「御堂・・・?」



確認するような声音に二人同時に振り向く。
そして佐伯は不審げに眉を顰め、御堂は驚きに目を瞠った。





「本、城・・・」





やや掠れたその声が、御堂の動揺を如実に語っている。

(本城・・?)

佐伯は呟くように発せられた名前を口の中で反芻した。


聞いたことがある。
確か・・・そう、まだ御堂を貶めることに執念を燃やしていた頃に聞いた。
御堂と部長の座を争ってMGNを去った同期だ。


佐伯がその名前を出したときの御堂の反応を思い出し、心配になって顔を見ると、御堂の頬は確かに強張っていた。

「おい、御」
「そんな顔するなよ、御堂。」

気をそらしてやろうとした佐伯の声を遮って、本城と呼ばれた男が困ったような笑みでそういった。
そのままごく自然な態度で、御堂の横のスツールに腰掛ける。

佐伯はあからさまに眉を寄せたが男は気にしなかった。


単に御堂で見えなかっただけなのか故意に無視したのか・・・佐伯には後者にしか思えなかったが。


本城はにこやかに続ける。
「久しぶりの再会なんだから、もっと嬉しそうな顔をするもんだぞ。それとも御堂は、俺に会えて嬉しくなかった?」
「いや…そんなことは…」
押しの強い笑みに気圧されるようにして御堂が答えた。

口元で微笑を返したようだがいっそ可哀想なほどに失敗していた。

「御堂、こちらは?」
明らかに普通でない御堂の表情に焦り、そして、御堂の心を苦しめているだろう男への敵愾心を沸々と沸き上がらせながら、
それでもビジネスライクな冷静さを己に強いて佐伯は二人の間へ割って入った。
二対の瞳が彼の方を向き、愛しくてやまない紫苑の一対が佐伯を視認して僅かに緊張を和らげる。
「あ、ああ…佐伯、彼は…」

「本城嗣郎。御堂とは大学の同期で、元同僚ってとこかな。君は?」

佐伯の一言で呪縛から解けたように口を開いた御堂を遮り、男がにこやかにそう名乗った。


ゆるくウェーブの掛かった赤みを持った髪、白いスーツに青いシャツ、趣味を疑う柄のネクタイ。
服に投資する金は余っているが肝心のセンスは皆無、と佐伯は敵愾心に任せた評価を下す。

名乗った男も完璧な笑みを浮かべて入るが、皮一枚捲った下では佐伯を隅々まで眺めて値踏みしている事は明らかだ。


佐伯は意図して攻撃的な笑みを口元にのせた。


「はじめまして、本城さん。佐伯克哉です。」
見せつけるように名刺を差し出し、これ見よがしに誇らしげに笑ってみせた。
「こういうものです。御堂さんと共同で経営コンサルティング会社を経営しています。」
本城は受け取った名刺にじっと目を落とした。
「へえ、共同で。」
そうして少し沈黙を置くと今度は顔を御堂へ向ける。

「MGNは辞めたんだ?で、この佐伯君の下について働いてるってこと?」


お前も墜ちたもんだな、そう言外に含ませた声音は御堂よりも佐伯の眉間を険しくさせた。


佐伯は思わず口を開きかける。
だが、彼よりも早く御堂が言葉を発した。


「ああ。独立する彼に誘われて副社長をやっている。まだまだ小さい会社だが、やりがいも勢いも申し分ない。もちろん、パートナーもな。」


「…!」



凛と顔を上げ、瞳に強い光を、そして口元に穏やかで誇らしげな笑みを浮かべた御堂の表情は、だれよりも佐伯の胸を打った。

御堂に本城に話しかけられた直後の動揺など欠片も残っていない。
佐伯の会社を、そして佐伯を侮辱するような本城の態度が呼び覚ました怒気の熱が弱気な回顧の念を焼き尽くしたのだろう。


世間から見ればキャリアダウンかもしれない。

だが、己にとっては最高のキャリアアップなのだと、御堂の全身が語っていた。


佐伯の弁護など、御堂は全く必要としていなかった。




これには本城も数瞬言葉を失ったようだった。
「ふうん。すごいね、御堂にそんなこと言わせるなんて。」
本城はチラリと佐伯に流し目をくれる。
佐伯が鬱陶しそうな顔をするのと同時に、御堂の愁眉が不快そうに寄せられた。

「佐伯君、か。興味あるなぁ。あの御堂孝典を下につけるなんて。しかも君、俺たちより随分年下だろう?」

本城の視線が佐伯の頭の先からつま先までを舐め回す。
佐伯が御堂に目をやると彼は苦虫を噛み潰したような表情でそれを見ていた。
嫉妬している。

楽しくて、つい、佐伯は調子に乗った。

「七つ下です。名目上は私が社長ですが、御堂さんにはいつも助けられてばかりですよ。」
一見謙虚な言葉とともに贈ったのは輝くような営業スマイルだ。
表面だけ見れば、端正な顔をした佐伯のその笑みは男でも一瞬目を奪われるほど完璧な笑顔。
だが佐伯は意図的に獰猛な本性を潜らせた。

本城の眉尻が僅かにあがった事を見れば、どうやら通じたようだ。



御堂はもうお前の物ではない。

過去の繋がりなど何の役にも立たない、と、そう告げる、開戦のファンファーレ。



充分に相手へ伝わった事を見て取ると、ちょうど着信を告げた携帯を片手に佐伯は席を立った。
本城の視線がその後ろ姿を追う。

身体の線を撫でるような重みのある目線がまた御堂の不快感を煽る。


じっくりと視線を送り、ついに佐伯の姿が視界から消えると、本城は漸く御堂に視線を戻した。


そして思わせぶりな笑みを浮かべてみせる。

「佐伯君、か。」


本城の舌がするりと己の唇を舐める。



「…いい、ね。」



色を帯びた視線と、獲物に狙いを定める瞳の奥の野生。




彼の獲物は…。




御堂は佐伯が去っていった方向を見た。
本城に視線を戻せば、艶やかとも言えそうな笑み。





背筋を、じっとりと汗が伝い落ちた。











あの後本城は佐伯が戻ってくるなり御堂の内心を存分に掻き回す提案を残して去っていった。
“今度興す俺の会社をアクワイヤでコンサルティングしてほしい”


それが、本城の一言だった。



「本城さんの会社を?」
信憑性を測るような佐伯の視線に物怖じもせず本城は余裕の表情で頷く。
「そ。俺の会社を。今設立に向けて奔走中でね。」
そういって本城は僅かに佐伯の方へ身を寄せた。
佐伯はそれに頓着せず、本城の瞳を見据えて言葉を真実の天秤にかけんとしている。


佐伯と御堂の間に本城が座っているこの状況で本城に背を向けられたら御堂は二人の間に入りようが無い。
名を付けられない焦燥感がじわじわと胃の腑の奥から沸き上がり、落ち着かない。


「どんな会社を考えていらっしゃるんですか?」
佐伯の目は仕事のそれになりかかっている。
だが、御堂にはまだ彼の天秤が答えを出しかねているのを見て取っていた。
「国際取引の実務のアウトソーシングを担当するような会社、っていえば一番手っ取り早いかな。
 国際取引法上の手続きを監督、代行するのが主な仕事だけど法律事務所よりは手広く柔軟な業務内容にしたい。」
佐伯がスーツの内ポケットからメモ帳を取り出す。
「本城さんは弁護士資格をお持ちですか?」
「いいや?俺は持ってるのはMBA資格と公認会計士、それと司法書士。弁護士は他から声をかけるさ。弁護士資格を持ってる優秀な知り合いは沢山居るし。」
メモを取る佐伯の横で本城はカウンターに肘をつき、彼を覗き込むような格好で話を続ける。


その目が思い出したように御堂へ流されたとき、そこに宿る甘い熱の余韻に悪寒を覚えた。



(こいつは…!)



グラスのステムに添えた指に力が入る。


本城の趣味は知っている。
大学時代から御堂と同じく男でも女でも構わない人間だった。


そして普段は如何にも抱かれていそうな可愛らしい男を連れ歩いている彼が本気を出すのは佐伯のような不遜で自信にあふれた男を落とす時であることも、御堂はよく知っていた。




つまり本城は、佐伯を落とす気なのだ。

おそらくは御堂と佐伯の仲に薄々感づいていながら。





一通り概要を話すと本城は店を出て、後には佐伯と御堂が残された。
本気にしているのか、と聞くと、さあまだわかりませんと佐伯は返してきた。
だがその青い瞳には明らかに間違った昂揚が見て取れた。

佐伯は御堂が根拠の無い嫉妬心を抱いていると勘違いして、それを楽しもうとしている。


違う、本城は本気で君を狙っている。
そう言うべきなのか。

一笑されるに決まっている。

少なくとも、もう少し根拠が欲しい。


それに、おそらく佐伯であればそう簡単に付け入る隙は与えない筈。






「…さん、御堂さん」
「…!」

突然思考へ割って入った声に御堂がハッとして意識を戻す。
隣を歩く佐伯が心配そうに御堂の顔を覗き込んでいた。

そうだ、自分たちはあのレストランを出て家へ帰る途中だったのだ。

「すまない、少し考え事を…何の話だった」
恋人と隣り合って歩いているのに意識を他に飛ばしていた気まずさで素直な謝罪を籠めると、佐伯がにやりと笑った。
嫌な笑顔だ。
碌な事を考えていないにちがいない。
「本城さんの事ですよ。綺麗な顔立ちをしてますねって話をしてたんです。」
御堂は一瞬眉を寄せて、しかし明らかに彼をからかおうとしている佐伯の表情を見てため息をついた。

「茶化すな…私は…私は、本当にそれを気に病んでいるんだ。」


もう言ってしまおう。
そう決意して御堂は告げた。

佐伯はこんな風だから自分がネコとして狙われている状況に疎いだろう。


知らぬうちに本城が忍びよって何かの隙に間違いがおこったら遅い。



「佐伯、私は君より良く本城を知ってる。あいつは君のような男を落とすのが趣味のような奴だ…。私は……、君が、心配だ…。」



詰まりながら告げた御堂の言葉に佐伯はプッと吹き出した。
「なっ、笑い事じゃない!」
予想通りの反応に焦って御堂が食って掛かる。
だが佐伯にはそれも面白いのか、ますますまじめに取り合わない。
「御堂さん、あんた本当に可愛い。」
そういって、自宅のエレベーターに乗ったのを良い事に後ろから抱きしめてくる。
「おいっ、私はまじめに…!」
「知ってます。御堂さんがそう言ってくれるように仕向けたのは俺ですから。あんたが嫉妬するような事したのは意図的に、ですよ。ここまで狙い通りの反応をしてくれるとは思いませんでしたけどね。」
楽しそうに言って、佐伯は御堂の唇を塞いだ。
「んぅっ、ん、んんっ!」


違う、そうじゃない、お前の態度の事じゃない、本城の態度をいってるんだ。


そう伝えたかった御堂の言葉は佐伯の唇に吸い取られて音になる事は無かった。







(佐伯、お前は…私が守る…。)

蕩けかけていく意識の中、御堂は強く心に誓った。















ということでまさかの復活でしたw
一年前に下ろしたオリジナルバージョンをご存知の方はもう少ないかもしれませんが…当初は本城じゃなかったあのキャラを本城にして書き換えるっていう発想は結構前からあったんです。
でもどうしても、以前のチープな筋書きだとエロ前までに言いたい事が全部書けてしまってどうにも続きがかけなかった。
んなこんなで一年たってしまいました(笑)
おりキャラは本城になり、冒頭はオリジナル版と変わってないですが、話の展開はかなり変わります。
んで、結構特殊な感じになってますね(笑)本城が狙ってるのが眼鏡とかwちょっとそういうのも面白いかなとおもってやってみました。
今後の動きも楽しみに読んでいただけたら幸いです♪

あ、私眼鏡受けは書けないので、そっちの心配はしなくて大丈夫ですw