「まったく・・・馬鹿か君は・・・」


御堂は聞こえよがしに溜息をついた。
2人掛けのソファに並んで座って、大きな身体を小さくした本多の額に御堂が絆創膏を貼っている。
フローリングの溝で擦って出来た切り傷だ。

馬鹿といわれて黙っている本多ではないが今は反論できる状態ではない。
確かに自分の家でコケて怪我なんて、笑い話だ。

御堂は借りてきた猫のように大人しくしている本多を横目に救急箱を片付けながらチラリと腕時計を見た。
もう二時半過ぎだ。
今こそ血が止まったが、毛細血管を切ったらしく当初は傷の割りに出血が酷かったから、血を拭いたり止血をしたりして時間を食ったのだ。

今から帰ると三時半になってしまう。

「全く・・・」
また零れた御堂の溜息に本多がすまなそうな目で見てきた。
御堂は左腕を本多の目の前に出した。

はっきりと、時計の文字盤が見えるように。

「君のせいで今から帰ったら家に着くのは朝方だ。泊まらせてもらうぞ。」


不機嫌な表情を作ってはいるが、御堂の瞳はどこか柔らかい色を含んでいる。
機嫌も直って泊まっていくことにもなって・・・どうやら怪我の功名という奴らしい。


「それはもちろん、いいですけど・・・」
「けど、なんだ?」

本多はちらりと部屋の奥を見た。

置いてあるのはセミダブルのベッド一つだ。
来客用の布団も置いていないし。

「ベッド一つしかないんすよ・・・布団もあれだけで・・・」
御堂は視線を追ってベッドを見るとなんだそんな事かという顔をした。
「私はソファでいい。気にするな」
「え、いやでも、このソファじゃ狭いですよ?」

本多より背が低いとは言え180以上ある御堂に2人掛けのソファはいかにも窮屈そうだ。
それに同期の友人とかなら兎も角、上司でもある人をソファに寝かせて自分がベッドというのは余りにも具合が悪い。
「君が寝たらもっと狭いだろう。それに私は遠慮しているわけじゃない。洗ってもいない他人の布団で寝たくないだけだ。」

言外に臭そうといわれてる気がして反論しかけたが、事実このところ忙しくて布団を干す時間も無かった。
確かに、他人を寝かせられる状態ではないかもしれない。
「そこまで言うならしょうがないっすけど・・・明日体が痛んでも文句いわないでくださいよ?」
救急箱を手に立ち上がりながらブツクサと言う。
御堂が意地悪げな光を湛えた目でチラッと彼を見上げて笑った。

「ソファに寝たことについてはそうしよう。泊まらざるを得ない状態にされたことへの文句を自粛する理由はなさそうだがな。」
「・・・」


前言撤回。

全然、可愛くない。


コイツはスラックスの下に悪魔の尻尾を折りたたんであるに違いない。


なんでアイツのことを可愛いなんて思ったのかと顔をしかめながら風呂を確認する。
特に汚れてもいなかったのでそのまま御堂に薦めた。
タオルと着替えを置いて、綺麗に畳んで置かれたスーツをハンガーに掛けてやる。
そういえば他人がシャワーを浴びる音を聞く夜なんて、いつぶりだろうと思いながら本多は缶ビールを傾けた。

シャワーの音が止まったのは一本目を開けた直後で、御堂が髪を拭きながらリビングに戻ってきたのは二本目を半分空けたとき。

礼を言う彼に冷蔵庫から缶ビールを出して渡し、本多もシャワーを使いに行った。


戻ってきたら、御堂はソファに据わった状態で眠っていた。


落ちそうな缶をそっと取り上げるとそれはずっしり重かった。
本多がシャワーを浴びにいって直ぐ眠ってしまったらしい。

ただでさえ疲れが溜まっている週末の夜に騒動があって、しかもこんな時間まで起きていて、限界だったのだろう。


「・・・・」


なんとなく、寝顔を見る。


長い睫が滑らかな肌に薄い陰を落としている。

少し唇を開けた、無防備な寝顔。
普段の凛とした姿からは想像が出来ないそれは、鋭い光を宿す若紫の瞳が見えない事で一層柔らかな印象を抱かせる。

でも同時に、力の抜けた顔には、起きているときは意識して抑えていたのだろう疲れの色が濃くて。


当然だ。
本多の仕事より量も多く質も彼にかかる責任も上なのだから。


「・・・やっぱソファには寝かせられねぇな・・」


誰に言うでもなく呟いて、起こさないように注意しながらそっと横抱きに抱き上げた。
背の高さこそ差は5センチくらいのものだが、体格は本多のほうがかなりしっかりしている。
軽くは無かったが、運ぶのに苦労するほどでもない。

相当疲れているのか全く起きる気配の無い御堂をそっとベッドまで運んだ。

ネイビーブルーの寝具の上にそっと寝かせる。
少し考えてから本多も隣に横になった。

セミダブルのベッドでは大の男2人横になるのに快適とはいえないが、嫌な気もしない。

肘を立てて頭を支え、隣で眠る御堂を観察する。


本多が貸したオフホワイトのパジャマは少し大きかったようだ。
開いた襟からパジャマよりも白い肌が覗いているし、袖からは整った指先だけがちょこんと出ているだけ。


枕に散った髪にそっと指を通してみる。

陽光に深い紫の艶を返す黒髪も、しっとりと濡れて重みを増した今は烏の濡羽色に沈んでいる。


黒髪と抜けるような白い肌がネイビーブルーの寝具に映えて、なんだかすごく、色香を感じる光景だ。



(なんか・・・こうやってると変な気分になってくるな・・・・・)



仕事中の隙の無い姿しか見たことがないからだろうか。

こんなにも無防備な御堂を見ているとザワザワとどこかが騒がしくなる。


「まさか・・・いくら美人でも男だぞ?」


男だし、上司だし、何よりあの御堂孝典だ。

自信家で傲慢で威圧的で居丈高でエリート志向で冷徹で厳格で堅物でお高くとまっててサイボーグみたいな仕事人間で
小うるさいし何かにつけ態度が鼻につくし取り合えず何をやっても意見が合わないし
一日一回は鼻で笑われてる気がするし頭の中でボコボコにしたことも一度や二度じゃないし・・・。



「・・・サイボーグがこんな顔して寝るのは反則だよなぁ・・・・」



つい、と指で滑らかな頬をなぞってみた。


当然だが、柔らかくて温かい。
不意を突かれたときに見せた無防備な表情とか、少し疲れたような顔だとか、こんな安らいだ寝姿だとか。


これが本当の御堂孝典だとしたら・・・。


「仕事中は隙を見せないように頑張ってるってことか・・・?」



それって、なんか。




「・・・・なんか、結構可愛い人間って事になるよな・・・」




少し考えれば当たり前の事。

だがなまじ本多自身がどんなときも素のままで振舞える人間なだけに、御堂が彼のような生き方の出来ない人間だということに気付かなかったのだろう。


それに顔を合わせるときといったら何時も仕事中で、それにいつも親会社の上司と子会社の平社員という立場だったから、
それ以外の時の御堂の姿など想像もできなかった。

若干32歳で大企業の部長職に付くまでに御堂はいろいろな甲冑をつけてこなければならなかったのだろう。


自分を大きく見せるため、自分を強く見せるため、自分を偽るものであっても身に着けて。



いつの間にかそれが周囲には彼そのものになってしまって。



本多はガシガシと頭を掻いた。


「あーっ、俺駄目なんだよなぁ!そういう不器用な奴みてると、どうしても守ってやりたくなっちまう性格なんだよっ!」




今夜こんな状況になるまでは思いもしなかったのに、今は隣で眠る存在がなんだか無性に愛しくてたまらない。


少し頬を赤くしながら本多はそっと御堂の身体を抱きしめた。




相変わらず、眠り姫は夢の中だ。




「責任取れよ、御堂さん・・・あんたが可愛すぎるから悪いんだぜ」










「ん・・・」

眩しい。
御堂は薄っすらと目を開けた。

直接飛び込んでくる日光は、寝不足の視神経には暴力に近い。

(どこだ・・・ここ・・・)

徐々に慣れてきた目に見覚えのない室内が写って御堂は眉をしかめた。
寝起きのまだぼんやりとした頭で緩慢に記憶を探る。

昨日は確か終電を逃してタクシーで帰ろうとして・・・男に絡まれて・・・・ああ、そうだ、本多の家か。


シャワーを浴びた後の記憶がない。
知らない間に眠ってしまったのか。


とりあえず自分の状況を把握して一息ついた御堂は、唐突に、自分の腰辺りにかかる重みに気付いた。



視線を送ればゴツイ腕。



「・・・な・・・・・・?」



咄嗟に離れようとしたらデカイ手が彼の腰を掴んで引き寄せてきた。




慌てて見れば顔のすぐよこに本多の寝顔。




「――――!!!!」




声無き悲鳴をあげて御堂は身を捩った。
途端、彼の下に回っていた腕まで絡みついてきて、抱きしめるような形で拘束される。

おまけにむにゃむにゃと不明瞭な声を出しながら顔を近づけてくるではないか。


「なっ、馬鹿っやめろっっ、起きろ!!おい!」


必死でもがくのだが眠っている人間のどこにそんな機能があるのか、御堂を抱きしめる本多の腕は弱まるどころか強くなるばかり。
相変わらず接近してくる顔からも逃げられなくて、御堂は咄嗟に掌で本多の額を押し返した。

「このっ、いい加減起きろ、馬鹿!!聞こえないのかっっ、起きろというのに!!!」

こうなったら強硬手段、と御堂が本多の頬めがけて拳を振り下ろそうとしたとき。


額を押しのけようとする手が離れた瞬間を見計らったように本多の顔が急接近して。



「やめ、んんっ・・・!」




唇に柔らかい感触。

これ以上ないほど近い本多の顔。


若紫色の瞳が限界まで見開かれる。



双眸に映っているのは茶褐色の瞳。




ニヤ、と笑った気がした。




「離せっ、ふ、んぅっっ」

一瞬唇が離れた隙に声を出したら、開いた歯列を割って舌を押し込まれた。
本多の肩を押しのけようとする御堂の両手首がネイビーブルーのシーツに縫いとめられる。
首を振って逃れてもすぐに捕らえられて深く口内を貪られた。
「んっ、ふ・・っ、ぁ・・・んん・・・」
くぐもった吐息が、ささやかな水音に絡まる。

険しかった眉間の皺が切なげな表情を漂わせ、白い頬に薔薇色の朱が昇る様子は、目を奪われるほど艶かしかった。

もっと見ていたくて、目をうっすらと開けたまま深いキスを続ける。
緩々と熱を上げられていく御堂の顔は普段の様子からは想像もできないほど色っぽく艶めいて扇情的だ。

思わず夢中でキスを続けて、漸く唇を離したときには御堂の息が完全に上がっていた。


「あっ、はぁ・・っ、ぁ・・」


とろんと解けた薄紫の瞳が呆然と本多を見上げる。
悪態も思いつけない状態らしい御堂はただ荒い息をつくばかりだ。

本多はそんな彼を柔らかな表情で見て、唇の端に残った唾液を指の腹でそっとぬぐってやった。


それで漸く思考回路がつながったらしい御堂の顔が今度は怒りで赤くなる。


「何のつもりだ!!!」
いつもは思わず身を竦めてしまう御堂の怒声だが、潤んだ瞳に染まった頬上ずった声ではあまりに迫力に欠ける。
もちろん、本多もちっとも堪えなかった。
「いや、だって目覚めたら御堂部長があんまり色っぽい格好してるから、つい。」

言われて視線を下ろせば。
もともとサイズの大きい本多のパジャマが、暴れたせいで肌蹴て鎖骨やら肩の稜線やらが露わになっていた。

「こ、これは君が寝ぼけて抱きついてきたからッッ!」
御堂が慌てて着崩れたそれを直す。
「夢ん中で御堂部長を抱きしめてたらどうもホントに抱きしめてたみたいで。起きたらキスしそうな近さだったからついでにお礼を貰っちまおうかと。」
もちろん、夢の中の御堂は本多の都合により生み出された存在なので、抱きしめてきた彼に拳を振り上げることも無く大人しく抱きしめられてくれていたのだが。
現実はそうもいかなかった。

「礼だと!?」

まだ頬が赤いのは愛らしいといえるが、表情は決して好意的なものではない。

それでも本多は宥めるより流したほうが得策だろうとペースを乱さず進めることにした。
スィと柔らかな唇を指で掠める。


「ヒーローが窮地を救ったヒロインから貰うお礼はキスって相場が決まってるだろ?」
「なっ・・・!!無理矢理奪っておいて何が礼だ!」



声を荒げた御堂は、本多がなにもいわないので暫く黙って。
ふいに頬を赤くしたまま目を逸らした。




プライドが邪魔をして何か言い辛いときの癖なのだろうかと昨夜の様子から本多は検討をつける。
果たしてそれは正解だった。


「昨日は、本当に助かった・・・礼は、きちんとさせてもらう。」



まったくこの人は。
感謝一つ伝えるだけなのに何でこんなに素直になれないかな。

こうなると天まで届きそうなプライドもチャームポイントのような気がしてくる。



御堂が起き上がろうとするので本多は素直に身体を退かした。
いつもはカチリとセットされている黒髪がふんわりとして僅かに寝癖があるのが新鮮だ。

スーツを持って風呂場のほうへ消えた御堂は、すっかりいつもの彼になって戻ってきた。


隙の無い立ち姿も冷たい双眸も凛とした背中も昨日までと同じ。

でも偶然垣間見てしまった素顔のせいか、前のような無機質な印象は抱かなかった。


それどころか何だか、人間らしい彼を見たことで昨日までよりずっと魅力的に見える。


多分思っていることが顔に出ていたのだろう。
「・・・顔を引き締めろ、だらしない。」
と怒られた。
若干頬が染まっているようだったのは恐らく本多が自分を見て何を思っていたか薄々感づいたからだろう。

帰りがけ、御堂は財布から一枚のカードを取り出して本多に渡した。

エンボス加工で蔦の浮き出た綺麗なそのカードにはフランス語と電話番号に住所。
裏返すと簡単な地図が載っていた。

「今夜そこへきたまえ。」
本多はフランス語などさっぱりだったが、雰囲気からして恐らく高級なレストランのようだ。
十中八九、本多の給料では指を咥えてみているしかない値段の料理が出てくるような。
「え、いいんすか?」
驚く本多に御堂が少し笑った。

「礼をするといっただろう。」


微笑みといっていい柔らかさを乗せた笑い方は初めて見るもの。
思わず目を奪われた。


ハッと我に返って「あ、じゃあ遠慮なく」と返事をする。

「タイまでは要らないが、それなりの格好をしてこい。いつもの服や安いスーツは言語道断だぞ。」
いつもの服など見たことがないくせに失礼な、と思ったが、確かにいつもの格好では入れ無そうなレストランだ。
買い物にいく必要があるかもしれない。

それはそれで、デートに備えるようで楽しそうだが。

「わかりました。精一杯キメてきますよ。あんたが惚れてくれるくらい。」


また真っ赤になって怒るかと思ったら、御堂は好戦的に笑って見せた。



「ほう?それは楽しみだ。私を落胆させないように精々頑張りたまえ」



ニッと口の端を上げた笑い方は仕事中、意地の悪いことをいう時みせるものに似ていたが、いまのそれは何とも言えない色香が感じられた気がする。




御堂を送り出してから本多はその場に蹲った。


「ああ・・・ヤバい・・・・」



どうやら無かったことにするのが難しい段階まで、恋してしまったらしい。




相手が相手。

なんでまたよりによって・・・と思いつつ。




それでもその日一日、御堂のことを思い出すたび顔がにやける本多だった。














コノヒトタチドチラサマ????
実はこれが一番初めに書いた眼鏡小説といっていい話なんですが・・・・2人ともすっかり別人・・・・・ごめんなさい。。。
書き方に一貫性が欠けるのは処女作ならではってことで済ませたいorz