本多は落ちつきのない様子で時計を見た。
時間を確認してから視線は直ぐに携帯電話へと移る。

さきほどから繰り返されるその動作の原因は、迫る新幹線の発車時刻と空席のままの隣のシート。

足元には一泊二日の用意が入った旅行鞄が二つ。
自分の分と、御堂の分だ。
久々に予定の折り合いが付いた週末、二人で温泉にでもと言う話になった。


なったのだが。

金曜に発生したトラブルに御堂が引っ張り出され、時間を変更して駅で落ち合うことになって今に至る。


御堂は処理能力を買われて急遽助っ人的に呼び出された形であって直接の責任者ではないため、
処理が長引いても付き合う謂れは無いから時間は大丈夫だといっていたのだが。
発車まであと3分。
御堂からは連絡も無いうえ携帯は電源が切られているようで連絡が付かない。
腕時計の長針が進む。
降りたほうがいいだろうかとも思うのだが、ぎりぎりになって到着した御堂が別の車両から乗り込んだら事だ。
チケットは本多が先ほど買い直したもので、御堂は車内でそれを受け取ることになっている。

と、携帯が振動した。




 7/29土12:04
 御堂孝典
 (non title)
 ――――――――――――
 間に合うかどうか怪しい。
 間に合わない場合でも君は
 先にいけ。




「マジかよ・・・」

間に合わないといわない辺り、乗れるかどうか本当にギリギリなのだろう。
ということは御堂の言うとおり本多は下手に動かないほうがいい。
入れ違ってしまうのが一番不都合なのだから。
無意味にホームを見たり通路を振り返ったりしていると発車のベルが鳴った。

間に合わなかっただろうか。
それとも今頃別の車両のドアに滑り込んだだろうか。

ドアが閉まる。


着信は無い。


「ちぇ・・・」
本当に珍しい二人きりの旅行。
道中一緒に過ごせることも楽しみにしていたのに、どうやら一人で寂しく行くことになりそうだ。
ゆっくりと車体が動き出す。
落ち着いたトーンのアナウンスを聞き流しながら本多は窓に肘を付いてつまらなそうに溜息をついた。


「25の男が遠足にいけない小学生のような顔をするな、情けない。」


「!」

聞き間違えようの無い声。
ハッとして振り返るといつものビジネス鞄を片手に提げたスーツ姿の御堂が立っていた。
「間に合ったんすか!」
先ほどの表情が嘘のように表情を明るくした本多を一瞥して、御堂は答える必要なしとばかりに無言で隣に座る。
無造作にネクタイを少し緩める彼の息は軽く弾んでいる。

走ってきたようだ。
本当にギリギリだったのだろう。

夏でも涼しい顔でスーツを着崩さない御堂だが、流石にこの暑さと湿度の中走ったのは辛かったようでジャケットを脱いだ。
手を差し出し、それを受け取って窓横のハンガーにかける。
冬に着ているものより薄手だが、それでも良くこの暑いのに三つ揃えなど着れるものだと本多は真剣に疑問だ。
御堂いわく、上質なそれは下手な清涼スーツより涼しいとのことなのだが、クールビズにいち早く乗っかった汗っかきな営業マンからすれば異常なこと甚だしい。
丁度やってきた車内販売を呼び止めて御堂が水を購入している。
「大丈夫か?」
御堂は数口水を飲んでから頷いた。
「ああ、トラブルそのものに取り掛かるのは今からだが処理計画と指揮系統を作ってきたから後は私が居なくても大丈夫だろう。」
返って来た返事に本多は数度瞬きして、それから溜息をついた。
「違うっつの。仕事じゃなくて、あんたのこと。」
「私?」
このタイミングで「大丈夫か」と聞かれたら大半の人間は自分のことだと思うだろうのに彼は全く思い当たらないらしい。
怪訝そうに眉を顰めて見てくる様子にまた溜息が漏れる。
「急いで走ってきたんだろ?だから大丈夫かって聞いたの。」
ああ、と得心したらしい声が返ってきて、漸く通じたらしいことを知る。
今度こそ「遅くなってすまなかったな」とか「心配させたか」とか恋人っぽい会話になるかと思ったのだが。

その辺の常識も通用しないようで・・・御堂は
「ふん、君に心配されるほど柔ではないつもりだが?」

と不遜に言い放った。

本多の眉間がコイルを巻く。
「そんな言い方ねぇだろ、心配したってのに。」
ブツブツと文句を言うが、御堂は聞く必要なしといった風に水を飲んで返事をしない。
あんまりな反応にまた口を開きかけるが、せっかく二人で行ける事になったのだからと何も言わずに口を閉じた。
目的地まで一時間程度。

最近休みも重ならなかったから、プライベートで話すのも暫く振りだった。


後ろへ飛びのいていくビル群を気分良くみやってから「なあ、最近なんかあったか?」と言いながら横に視線を戻す、と・・・。



「・・・・あんたなぁ・・・」



御堂は引き出したテーブルにノートパソコンを載せて軽快なタイピングを始めていた。



思わず上がった怒りを含んだ声に御堂が眉を顰めて視線をよこす。
「なんだ」
「なんだじゃないだろ!プライベートで旅行行こうって時に仕事なんかすんなよな!」
声を荒げる本多を御堂が煩そうに睨む。
「声が大きい。」
しかも一言それだけ言うと他には何を言うでもなくパソコンへ視線を戻すではないか。

「そんだけっすか」

「それだけとは?」
ムッとして本多が食って掛かり、御堂が厭味なくらい冷静に応じる。
まったくもって仕事中の二人だ。
本多はうんざりしてきた。

なんで二人きりの旅行、しかもプライベートで話すのも久々という状態で、目の前で仕事なんかされなければいけないのか。

「なんで今仕事すんのか、言い訳しないんですか。」
不機嫌を隠さない口調の本多を御堂はチラリとみやって、また視線を戻す。
「そんなに理解の無いパートナーを持った覚えは無いからな。」
それとも私の見込み違いか?とでも言う様に挑発的な目がまた一瞬向けられた。

本多がぐぅと唸る。
そんな理解ならいらねぇよ、と怒鳴りそうになるのを、車内だからと耐えた。

引き下がったと思ったのか、それとも黙るなら理由など気にならないのか・・・御堂はそれきり何も言わず仕事に意識をやってしまった。

今朝までの浮き足立った気持ちは完全に霧散して、本多はむっつりと黙って窓の外を眺める。


暫く御堂の指が立てる軽快なキータッチ音だけが二人の間に響き、そうしているうちに本多は知らぬうちに寝入ってしまった。




起きたのはそれから暫くしてからだ。




「ん・・・寝ちまってたのか・・・」
伸びをしながら見ると、隣の席に御堂がいない。
テーブルの上にノートパソコンは無く、鞄の中に仕舞われているようだ。
と、人が通って開いたドアの向こうにその背中を見つけた。

デッキで電話をしているようだ。

誰かが直ぐ向こう側に立っているのかドアが閉まる様子が無く、徐々に音を言葉として拾えるようになってきた。
仕事の話なのだろう。

しかしどうも、口調が穏やかでない。

「・・・から・・・・でしょう、それは・・・・ません」
はっきり聞こえる言葉と微かにしか聞こえない言葉をつないで組み立てる。
(さきほど、から、申し上げている、でしょう、それは、こちらのやるべき事ではあり、ません・・かな)
どうやら上司に話しているようだ。
明らかに怒っているが。
あるいは年上の同位か下位の人間だろうか。
御堂は片桐のように地位が自分より下で年上の人間にも敬語を使う。
本多はデッキにより近い御堂の席に移動して耳を澄ませた。
「そもそも私が今日手伝ったのは貴方の補助としてです。私は貴方に代わって対策と指揮系統の構築をしました。
 貴方の部の損失は会社の損失ですから部門が違うだけで投げ出しませんが、この先は明らかに貴方の仕事です。」
今日の仕事がらみのようだ。
詳しいことは聞いていないが、話からさっするに、問題処理能力に問題のある他の部の部長に代わって借り出された御堂が初動的な処置をしたのだろう。
そこまで考えたところで相手の言葉を聴き終わった御堂が先ほどよりも棘の多い声をだした。
「ですから、その件については先ほどデータを貴方の部下に送信しました。
 はい?―――彼には社を出る前にデータを送る旨伝えてありましたから。―――筋?今は筋よりも効率を第一にすべきだと思いますが。」

本多は何となく話が見えて苦笑した。


御堂が話している相手は彼の早すぎる出世を妬む位に年配の、旧態依然とした年寄りなのだろう。
自分は何もできずにいたくせに御堂が鮮やかな手腕で初動措置をしたことで評価をあげたことを妬んで、
後から出てきてネチネチと文句を言っている、と、そんなところか。

御堂が一番嫌うタイプだ。


さてどう出るか、本多は俄然楽しみになってきた。


「それは送った文書に書いてあります。しっかり読んでから聞いてください。私もですが、貴方にも無駄に出来る時間はないはずです。」
数瞬後、御堂が電話を少し耳から遠ざけた。

うんざりした動作から考えるに、おそらく向こうで相手が怒鳴ったのだろう。

「――大隈専務ですか、お疲れ様です。」
暫く受話部分から耳を離していた御堂が再び耳を付けてから発した第一声はそれだった。
どうやらヒステリーを起こした部長に代わって出たようだ。
「いえ、それはお構いなく。出来ることをしたまでです。」
労をねぎらっているのだろう大隈に対して御堂はそっけないほど平坦な声で応じる。
謙遜ではなく本気でそれくらいにしか思っていないのだろう。

「その件は先ほど彼の部下にデータにして送りました。―――恐縮です。ですが、あとは筒井部長にお任せします。
 ―――ええ、先ほど本人から聞きました。しかし私にも都合がありますし、筒井部長には責任がある。私はこれ以上関わるつもりはありません。」


この言葉に本多は些か驚いた。
旅行の道中にまで仕事を持ち込んだ彼のことだから出来るところまで携わるのだと思っていたのだが、きっぱりと断ったのだから。


「はい、以前から入れていた予定が。―――いえ、それは問題ありません。移動中にすみましたので。」



「!」



本多はハッとした。
先ほどノートパソコンで作っていた書類が再三会話に登場してくる「部下に送ったデータ」ということは何となく掴めていたが、
それを態々さっきやった理由には結びつかなかった。

データの話の直後の“恐縮です。”が、仕事の速さを褒めた大隈の言葉への返答だとしたら・・・。

仮定でしかないが・・・と思っていると御堂が言った。
「はい、あれが有れば終末処理は問題なく進められると思います。」
やはりそうだった。
先ほど作って部下に送った文書はトラブルの終末処理のマニュアル。
ということは、トラブルの大きさにも寄るが、少なくとも今すぐ作成しなくてもいいものだったのだ。

それを、旅路の時間をつぶしてまで終わらせた理由は・・・。
“移動中にすみましたので”の一言から明らかだ。



ゆっくり過ごす時間に仕事を持ち込みたくないからこそ、御堂は本多に非難されても道中に書類を作ったのだ。



通話を終えた御堂が振り返り、自分を見ている本多を見つける。

一瞬顔を強張らせてからフッと表情を緩めたのは、ばつの悪そうな本多の表情のせいだろう。
「聞いたのか。」
携帯を仕舞いながら席に戻ってきた御堂が溜息混じりに言う。
本多はガバッと頭を下げた。

「すんませんっした!」

電話を聞いたことではないと御堂も分かっただろうと本多は思った。
だが帰ってきたのは落ち着いた声で。
「何のことだ」
顔を上げると涼しい顔をした御堂が僅かに笑みを浮かべて彼を見ていた。

「言っただろう。“理解の無いパートナーを持った覚えは無い”とな。」

不問にすると、そういっているのだろう。
それでも気がすまなくて言い募ろうとする本多を御堂が遮った。

「君がどうしても謝るなら私も謝るぞ。」
「へ?何をだよ。」
「プライベートに仕事を持ち込んだことだ。」
「いや、でもそれは仕方なかったんだから謝ることじゃねぇだろ。」
「なら君も謝るな。」
「それとこれとは・・・」

「私の説明が足りなかったから、君が怒っても仕方なかった。だから、謝るな。」

「御堂・・・」

良く見ると、スイと視線をそらした御堂の頬が薄く染まっている。


つまりこれは御堂なりの謝罪と気遣いというわけで。


本多はニカッと笑った。

「わかった、んじゃ、謝らねぇよ。この話は終わりにして旅行楽しもうぜ。」
「それでいい。」

うっすら頬を染めながら、御堂は尊大に頷いた。



波乱の幕開けだった旅行だが、この後は問題なく甘い時間が過ごせそうだ。
そう疑いもしなかった本多は予想だにしなかった。




この数時間後、甘い雰囲気に包まれているはずだったホテルの一室で遣る瀬無さに打ちひしがれようとは。




ベッドにうつ伏せてドン底に凹んでいる本多に御堂が溜息を付く。
「いい加減機嫌を直せ、本多・・・」
御堂にしては弱い語調なのは、原因が全て彼にあるからだ。
本多はコケて水溜りにダイブした不幸な人のような顔で彼を無言で見上げる。

その視線に御堂が怯んだ。


「う・・だから、すまないと・・・・」


この二人には珍しい現状を生んだ事件はチェックインのときに起こった。


駅からはタクシーを使い少し山奥にあるホテルへと向かって、
本多がタクシーから自分の分と御堂の分の荷物を降ろしている間に御堂がフロントに手続きにいったのだ。
「いらっしゃいませ。ご予約はお済でしょうか。」
「ああ、済んでいる。」
「ではこちらにご予約者様のお名前などをご記入願います。」
品の良い笑みを浮かべたフロントマンが紙をついと差し出す。
万年筆を受け取ってサラサラと筆を走らせ始めた時、本多が隣にきた。

ホテルの予約を取ったのは本多なので、御堂は自分の名前を書かないよう注意して・・・


(本多・・・?本多・・・・・・・・・・)




・・・・・下の名前が分からない。




チラと隣を見るとホテルのパンフレットに気を取られて気づいていない。
とりあえず後回しにして他の記入欄を埋めていく。
その間彼なりに名前を捻り出そうとしたのだが、出てこなかった。

聞いたことはあるはずだ。
面と向かって名乗られたことが少なくとも一度あるはずだし、そうでなくてもフルネームが書かれた書類を目にすることが多い筈なのだが。


(・・・・)


もう一度本多に目をやるが、何か興味を引かれることが書いてあったのか、まだ意識はパンフレットに行っている。
仕方ない。
御堂は何食わぬ顔でそのままホテルマンにそれを手渡した。
だが当然。
「恐れ入りますが、フルネームでご記入をお願いいたします。」
と突き返される。


「・・・・・・・・本多」


「ん?なんですか?」

パンフレットを戻した本多はなんとも言えない表情の御堂と、手元の紙を見て。
“猛烈に嫌な予感がします”とでも言いそうな顔をした。



「・・・・・まさか、俺の名前知らないとか・・・」

「・・・・失礼な。とっさに思い出せないだけだ。」



御堂がしれっと答える。
本多は遣る瀬無さでフロントに突っ伏しながら「憲二です」と答えた。
「咄嗟にでも忘れるかよ普通・・・」
「うるさい」
仮にも恋人の名前だ。
子会社の営業というだけならまだしも。

恨めしそうな本多の視線の先、淀みなく御堂のペンが滑る。


彼らしい、手本のような文字で書かれた名前は・・・








“本多 健児”













「違ぇよ!!!」








思わず総力を挙げてしまった本多の突っ込みにフロントマンが驚いて肩を揺らす。
あ、すみません、と謝ると隣からも非難がましい視線がきているではないか。
「あんたは謝るほうだろっ」
「何をだ」

それはもう心底ムッとした顔で言ってきた。
本多は怒る気も萎えて溜息をつく。

これ、と名前を指差した。


「漢字・・・憲法の憲に漢数字の二です。」

「ぅ・・・」


これは流石に不味いと思ったのだろう御堂の表情が変わる。
間違った漢字に二重線を引きかけて「すまないが新しいものを」と言い、書き直した。
呆れ顔な本多の視線の先、御堂は居心地悪げな面持ちで万年筆を走らせる。



 Illustrated by カナ様(Site:うたたね)


「・・・・・・・」

「・・・・悪かった」



腐っても鯛。

本多でも恋人。



御堂は全面的な非を認めてしおらしく謝ったのだが、当然、恋人に名前を忘れられるという悲劇に見舞われた本多はそれしきでは立ち直れず、今に至る。






途方に暮れる御堂を尻目に枕に顔を埋めた本多は心の中で神様に土下座した。










愛をください、この通りですから。

















御堂さんが本多の名前を忘れるネタは割合前から有ったんですが、どうもアップするタイミングを誤った気がwww
あんた本多に対してドSすぎるYO!!って怒られそうですwww
途中の素敵なイラストは、まだ前半の新幹線の中のやり取りがなくて、名前ネタしかなかったときカナさんに見せたら頂けたイラストですvvv
うふふ〜vvいつもありがとうございますカナさんvv大好きですvvvv